ONEDOG:壁打翻訳手習帳

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マリン・チリッチが錦織圭を破りUSオープンで四大大会初タイトル

長い道のりの果てに転がりこんできた勝利

 

心労と待機の後では、昨年の神経が参るような苦々しい思いを経た後では、それは突然たやすいことのようにマリン・チリッチには見えた。

 

USオープン準々決勝の相手はトマーシュ・ベルディハ?はい、ストレート勝ち。準決勝の相手はロジャー・フェデラー?はい、ストレート勝ち。決勝は、強風とプレッシャーが渦巻く中で、錦織圭?はい、驚くべきはっきりした答が、また繰り返されたのだ。

 

グランドスラムチャンピオンと呼ばれるなんて、本当に信じられないよ。」と、チリッチは語った。

 

グランドスラムの決勝に始めて出場する選手としてはそう思えたかもしれないが、198cmのチリッチに臆したところは見えなかった。月曜日アーサーアッシュスタジアムに胸をはって乗り込み、堂々とプレーし、錦織を6対3、6対3、6対3で完敗させてタイトルをさらったのだ。

 

「目標として夢見てきたことすべてが今日実現した。」25歳のクロアチア人、チリッチは験を担いで髭を伸ばしていたが、もう剃ってもよくなったのだ。「努力を重ねてきたすべての選手にとって、僕の今回の優勝は努力が報われることを示す大きな兆しと希望になるのではないかと思うよ」

 

数人の選手によって牛耳られてきたテニス界のこの一時代というもの、そんな兆しは見られなかった。一年前、2010年の全豪オープンのセミファイナリストでもあるチリッチは、この場に立つこともできなかった。禁止薬物への陽性反応で出場停止を受けていたため、トーナメントに出場できなかったのだ。2年間の出場停止処分の可能性もあったが、ブドウ糖の錠剤に含まれていた物質を故意ではなく摂取したためであると異議を訴え、ようやく出場停止は4ヶ月に短縮された。

 

「すべての物事の進み方がいらただしかった。まったくフェアではなかったんだから。」先週チリッチは語っていた。「他のテニス選手の誰があんな目にあっても、フェアだとは思わなかったろうね。ひどい悪夢でしかなかった」

 

しかし、テニス界の大組織について、彼はこう言う。「できることはそんなにない。だから、ただ受け入れたんだよ。テニスコートに帰ってきたとき、全部忘れることにした。前向きな面だけを見たんだ。あれはタフになるための経験だったよ」

 

10月にツアーに復帰すると、彼はランキングを駆け上がった。ニューヨークに着いたときには、第14シードと2つのタイトルを2014年の戦績にすでに加えていた。しかし、その時点では、かなりの予言者でも連れてこなければ、彼が全米オープンのトロフィーを我が物とするだろうと予言することはできなかっただろう。最近では、四強以外の選手がメジャートーナメントの決勝戦にたどり着けることは滅多にないのだから。

 

「星が流れたんだ。」と、試合後のCBSのインタビューで、チリッチは比喩を交えながら本質を突いた。確かにチリッチにとって大きな変化が起きたのだ。

 

かつて強力サーブで知られ今もカリスマ的なクロアチア人ゴラン・イワニセビッチは、10代のチリッチに早い時期から激励を与え、彼の以前のコーチであったボブ・ブレットを引き合わせた。ブレットは、頭の回転が速く深い経験を積んだオーストラリア人であり、チリッチをトップ10プレーヤーに育て上げた。

 

イワニセビッチは選手としてはすでに引退したが、昨年の末にチリッチのコーチに着き、鋭い機知と前向きなエネルギーをつぎ込み、この同郷の選手のサーブと戦術を磨き上げた。

 

「本当に一生懸命練習したし、彼が教えてくれた何よりも大切なことは、テニスをすることの喜びと常に楽しむことだよ。」とチリッチは言った。

 

今、コーチと弟子は二人ともグランドスラムシングルのタイトルを一つ手にした。イワニセビッチは、2001年のウィンブルドンでタイトルを手に入れたが、そのタイトルを掴んだ戦いは珍しいものだったが真の戦いであり、世界ランキング125位からワイルドカードで出場、雨天順延で月曜日におこなわれた決勝戦を制した勝利というものであった。

 

「月曜日はクロアチア人には特別なのかもしれないね。」とチリッチは言う。

 

イワニセビッチのストーリーは、今回の月曜日の全米オープンの決勝戦によく似ている。男子シングル決勝戦は、来年には通例の日曜日の枠に戻ることが予定されている。2016年には、建設が順調に進めば、アッシュスタジアムがついに開閉式の屋根を備えることになる。

 

CBSは、46年間に及び中継してきた全米オープンの最後の放送にあたって*1、(決勝戦が一方的に終わって空いてしまった放送時間を埋めるためもあって)1991年全米オープンジミー・コナーズ対アーロン・クリックステインの有名な試合のビデオを流すことで締めくくった。CBSの雨天延期の定番ネタもこれが最後のお役目だ。

 

深夜の激戦で生じた敵意とサスペンスは、正々堂々として礼儀正しい錦織対チリッチ戦とは全くの好対照だった。

 

この決勝戦は、錦織とチリッチにとって初めてのグランドスラムシングルの決勝戦だったが、初々しく見えたのは第10シードの錦織の方だけで、それもかなりくたびれた初々しさだった。

 

「少し硬く神経質になってしまった」と錦織は語った。「考えることがたくさんあった。集中しようとしたが、不十分だったと思う。この2週間というもの、このコートでテニスをやり過ぎた。もう一試合は戦いきれなかった」

 

第5シードのミロシュ・ラオニッチ、第3シードのスタニスラス・ワウリンカ、第1シードのノバク・ジョコビッチをへとへとになりながらも連破して決勝戦に進む原動力となった、輝きをみせる柔軟な彼のあのテニスの片鱗だけしか、月曜日には見ることができなかった。

 

錦織のエアボーンフォアハンドは威力を発揮しているようには見えなかったし、リターンも正確ではなかった。4回戦ではラオニッチの恐るべきサーブの脅威をしのいでみせたが、チリッチはさらに完成度が高い脅威を突きつけたのだった。チリッチは広い範囲を動き、ベースラインからの強打があるだけでなく、サーブも強力だった。

 

第二セットでは1ゲーム中の4本を含めて17本のサービスエースを決め、さらに驚くことにセカンドサーブの61%でポイントをあげた。たった1時間54分で決着がついたこの対決で、チリッチは錦織を翻弄し走り回らせるショットを何度も繰り返し放った。

 

アッシュスタジアムの一部ともいえる強風の中で、チリッチのショットの正確さは見事なものであり、特に彼の両手でのバックハンドはネットをぎりぎりでフラットにクリアしていた。

 

錦織は、決勝戦はこのトーナメントでの彼の最悪の試合だったと語ったが、「チリッチが非常に積極的で動きが速かったのも確かだ。」と付け加えた。

 

錦織はグランドスラムシングル決勝進出を果たした最初のアジア人となったが、ニューヨークに最も深い印象を残したのはチリッチだった。4回戦では暑い中でフランスのジル・シモンと戦い、5セットのきつい試合を勝ち進み、ベルディハ、フェデラー、錦織を退けたのだ。

 

「可能性はあるとは分かっていたけれど、あんな風に彼が10セットをプレイできるとはね。」と、イワニセビッチはシモン戦の最終セットを振り返る。「10セットも完璧なプレイを続けられるものじゃない。あれは驚きだよ」

 

この男子トーナメントの最終決戦は驚きだった。いわゆるビッグ4、フェデラージョコビッチラファエル・ナダル、アンディ・マレーが、一人も顔を見せないグランドスラムシングルの決勝戦は、2005年の全豪オープン以来始めてなのだ。

 

「これはテニス界にとってちょっとした新風だし、テニス界には必要なことだ」とイワニセビッチは言った。

 

フェデラージョコビッチを期待して決勝戦のチケットを購入した満員の観衆の中には、不満で文句を言う人も確かにいるだろう。報道によれば、チケットの再販価格も下がったようである。しかし、別の見方もある。

 

「私たちは世界で一番競争の激しい都市に住んでいるのよ。」と言うジュリアナ・オベイドは、月曜日にクライアントを決勝戦に招待したが、センターステージの錦織とチリッチの試合を観戦することに何の文句もなかった。「なんであれ同じことだわ。これがダーウィンの進化論というやつね。常に街には新しい世代がやってくるのよ。テニスの世界だって同じことだわ」

 

変化が起こり、ニューヨークの晩夏の夜に祝福を受ける王者は、フェデラーでも、ジョコビッチでも、ナダルでも、マレーでもなかった。

 

ニューヨークを発つ予定の火曜の夜の一日前、つまり月曜の夜、自身の勝利を祝してチリッチは言った。「マンハッタンのみなさん、飲みすぎて自分が「ハングオーバー!」第4作にならないよう御注意を」*2

 

NYTのWeb記事から。錦織選手は残念でしたが、相手のチリッチ選手も紆余曲折のストーリーを経てきたんですねえ。ワールドカップもオリンピックも終わったし、テニスがこれからはしばらく日本でも盛り上がりそう。

 


Connors Krickstein US Open 1991 4th round - YouTube

*1:来年以降の全米オープンテニス大会の独占放映権をESPNが獲得したため、今年はCBS が放送する最後の年だった。

*2:ハングオーバー!」は、アメリカのコメディ映画シリーズで、現在第3作までが製作されている。