ONEDOG:壁打翻訳手習帳

手習い故、至らぬところは御容赦。更新は、Twitterアカウント @0ned0g でお知らせします。

死ぬには早すぎるが、心配するには年を取り過ぎた

今週末、シンガーソングライターのレナード・コーエンは80歳の誕生日を迎えている。煙草を手に。昨年、コーエンは、80歳になったらまた煙草を吸い始めるつもりだと広言した。「再開するにはいい歳だよ。」と彼は説明する。

 

年齢に関わらず、煙草を吸うのは分別のあることではない。喫煙者自身だけでなく受動喫煙することになる周りの人も、長期的にだけではなく短期的にも、感染や喘息などの健康被害を受けることになる。それにもかかわらず、コーエン氏の喫煙再開は、挑発的な問題を提起している。つまり、将来のことを考えて生きるのはやめて、その代わりに目の前の喜びを受け入れる生き方を、いつから始めるべきか、ということだ。

 

20世紀の初頭、アメリカの80歳以上の人口はたった0.5%だった。産業化された国々は、結核やポリオのような感染症の対策で手一杯だった。骨粗鬆症のような一般的な老人病のほとんどは、病気だとすら考えられなかった。

 

現在では、アメリカの人口の3.6%が80歳以上である。現在の我々は、どんな行為を避けるべきかというだけではなく、どんな薬を飲まなければいけないかということまで、びっしりと処方箋の指図を受けている。65歳以上の成人の過半数が、処方箋に基づいた薬の服用や、処方箋なしでの薬やダイエットのためのサプリメントの服用を5種類以上おこなっている。その大半は、急性の病気の治療のためではなく、将来の罹病の可能性を減らすためのものだ。脳卒中、心臓発作、心不全、腎不全、股関節骨折、と罹病可能性のリストは長々と続く。さらに、アメリカ合衆国保健福祉省は2025年までにアルツハイマー病を予防しようというプランを立てており、そのリストはますます野心的なものとなろうとしているのだ。

 

21世紀の高齢化とは、リスクとその対策をどうするかという話だ。保険会社は、顧客がジムに定期的に通えばそれに報い、煙草を吸えばそれを咎める。患者の心臓病のリスクを減らそうと薬の処方箋を書いても、後遺障害のリスクが残っていれば、医師は製薬会社に警告を受ける。その結果、しばしば、さらに多くの薬が処方されることになる。あるフィットネス製品のキャッチコピーが今の時代を代弁している。「健康はあなたの財産です。長い人生をお祈り申し上げます!」

 

しかし、貯金をやめて元金に手をつけるべきなのは、いつだろうか?すぐに死ぬと分かれば、煙草に火をつけるかもしれないし、毎日服用していたアスピリンも、スタチンも、高血圧薬も止めてしまうかもしれない。将来を心配するよりも、友人と食事に出かけたりして、時間と金を現在の楽しみのためにもっと費やすことになるだろう。

 

予防医療については、良い話がたくさんありすぎるくらいだ。米国予防医学専門委員会などのグループは、予防医療ガイドラインの根拠を定期的に見直している。その結果分かったのは、ある年齢以上では、検査、手術、投薬を病気予防のためにおこなっても、付随するリスクや苦痛に見合うだけの効果はないということだ。例えば、米国心臓病学会とアメリカ心臓協会による高コレステロール治療の最近のガイドラインでは、心臓発作、心不全やその他の心臓病について、10年以内の発症リスクや10年以内の死亡リスクの確率を計算するのは、79歳を上限としている。また、75歳以降では、心臓病を患っていない人間がスタチンの服用を始めても益するところはないとも指摘している。しかし、誰もがこのアドバイスに従うとは限らない。

 

ところで、今の75歳は昔の65歳に相当するのではないだろうか?年齢は、今までの生き方をいつ止めるのかを判断する基準としては曖昧に思える。80歳になったコーエン氏は、本当に80歳だろうか?彼は70代半ばで、きびしいスケジュールのツアーをこなし、ステージではよくスキップしてみせた。彼の場合は、喫煙を再開するには80歳でも若すぎるかもしれない。

 

余命の予想に関する科学は進歩しており、こうした疑問に答えてくれる。カリフォルニア大学サンフランシスコ校とハーバード大の医学研究者は、ePrognosisというウェブサイトを開発した。このサイトは19のリスク算定を照合し、高齢の成人が今後6ヶ月から10年後までの期間に死亡する可能性を見積もることができる。ePrognosisの開発者は、老い衰えた人々は後どれくらい生きられるのかという余命の期待値を知りたがっていると言う。自分の寿命が分かれば、自身のヘルスケアのプランを立てられるだけではなく、経済的な選択、すなわち、自分の財産の分与もおこなうことができるからだ。

 

さらに革新的なのは、Sharecare Inc.の製品であるRealAgeだ。歳をとるにつれ、実際の年齢よりも老けて見える人もいれば、若く見える人もいるが、この印象をRealAgeは数値化するのだ。様々な行動や医療データを評価して、ユーザーが「本当は」何歳相当であるのかを計算するアルゴリズムを、この製品は用いている。

 

こうしたウェブサイトは、患者に情報(そして、マーケティング材料)を広める便利な手段になり得る。しかし、複雑な保険数理的なデータを、その不確定性や限界も含めて正しく伝えるには、顔をつき合わせて医者と患者が直接話し合うことに優る方法はない。

 

アメリカ人は、定量化された人生を計画的に生きる国民となりつつある。しかし、人生とは互いに相反するリスクを積み上げていくようなものだ。心臓疾患や癌を予防すれば、我々は長生きして認知症になるリスクを増やすことになる。その認知能力の低下の結果、いかに生きるかという問題ではなく、あとどれだけ生きるか、という難問を介護者に委ねなければいけないことになる。生命倫理学者のDena Davisは、その老化のリスクを示す生物学的指標について論じている。いつの日か、そのような指標は、PETスキャンによる脳のアミロイド測定のようにアルツハイマー病の初期の病理学的兆候を予見し、自殺のスケジュールを立てる機会を提供することになるかもしれないのだ。少なくとも、喫煙を始めるかどうかを判断するには役立つことだろう。

 

老化について我々の文化は、一つの極論に達している。健康であるだけではなく、健康の預金を積み上げようとせっせと努力しているつもりでも、死への道を辿っているだけなのかもしれない。それでも、コーエン氏の歌の一節にあるように「かっては遊んでいたようなところで痛みを感じ』始め、現在のことに話を絞りたいと思っている。私の高齢の患者と介護者の多くが不平をこぼすのは、彼らは医者から医者へと診療を受けに行くことに毎日を費やすばかりだということだ。米国国民健康調査のデータはその理由の一つを示している。9年以内に死亡するリスクが75%以上である高齢者のうち3分の1ないし半数の人が、もはや推奨されない癌検診をいまだに受けているというのだ。

 

私は80歳の誕生日を煙草で祝おうとも、大腸内視鏡検査で祝おうとも考えてはいない。自分が老いていくという実感を、ネット上の保険数理計算で誤魔化したいとも思わない。最近、アルツハイマー病について地域のグループで講演をする機会があった。そこでの質疑応答で、ある人が声を荒げて問いかけた。「週に一度友達とディナーを共にしてワインをグラス2杯飲む費用を、何故アメリカのメディケアはみんなに出してくれないんだ?」と。彼が突いていたのは、我々は単に生きるだけではなく幸福を求めているということだ。そして、医療は重要だが、この幸福を手にするための唯一の方法でもないということだ。国家の地域とサービスに対する投資は、我々の老後の質を改善するかもしれない。死についてのパネルディスカッションの代わりに、人生をいかに楽しむかというパネルディスカッションを始めることもできるのだから。

 


Leonard Cohen - Tower of Song - YouTube

 

 NYTの週末コラムから。高齢化社会という点では、日本は米国以上に深刻な問題を抱えていますが、Quality of Lifeの観点からは、社会の成熟化が高齢化に追いつくのだろうか?と考えさせられる記事でした。