ONEDOG:壁打翻訳手習帳

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アメリカのショッピングモールの死と再生

モールは死にかけている。しかし、地域にとっては、モールの死は可能性を取り戻すチャンスでもある。

 

数多のアメリカ人、とりわけ戦後に成人した世代にとって、モールは街の新しい広場のようなものだった。買い物をしたり、食事をしたり、仲間と集まったりしてぶらぶらする場所だった。殺伐として危険な都市中心部から目を転じ、完全な新品として構想されたアメリカンモールは郊外の消費文化のイメージそのものになった。それを「好況期のピラミッド」と、ジョーン・ディディオン(Joan Didion)はかつて評した。しかし、ピラミッドがそうであったように、モールが奉り繁栄の礎とした消費文化そのものが消滅しつつある。2014年には、既存の小売業は初めて売上成長の半分をネットを通じて得ることになる。モールにとって、現実は明らかだ。現実に起こっていることの意味を考えなければ、死あるのみだ。

 

最近新たに閉鎖されたモールは2006年に作られたものだ。1950年以来、新しいモールが建設されなかったのは2007年が始めてだ。2008年の景気後退は、すでにもがき苦しんでいたモールにとって堪える一撃となった。ノースカロライナ州シャーロット市にある110万平方フィート(約10万平方メートル)の敷地を持つモールの1平方フィートあたり売上は、2001年の288ドルから210ドルにまで減少した(1平方フィートあたりの売上げが250ドルを切ると、破綻の危機が差し迫っているとみなされる)。2007年から2009年にかけて、全米最大の2000モール中400モールが閉鎖された。ある小売業コンサルタントによれば、今後15年から20年のうちに全米のモールは半数が潰れかねないという。

 

人々が軽食をとったり、町中の友達とおしゃべりをすることができるワンストップの店というのは、決してアメリカだけのアイディアではない。かつてのローマのフォーラム、ギリシャのアゴラ、中世の商業都市に始まり、19世紀のデパートの流れもモールにつながっている。シアーズやマーシーズといったブランドは、派手な消費できわめて快適な暮らしが送れることを新たな郊外の住人にデパートで教え込んだのだった。この手を現代的にやり直そうと、モールを思いついたのがビクター・グルーエン(Victor Gruen)だった。この小柄で恰幅の良い髪もぼさぼさの男は、第二次大戦が勃発する少し前にウィーンから米国にやってきた。グルーエンは米国での最初の数年を演劇グループの一員として過ごした後、いくつかの商業施設の設計に転じた。その設計の中には163エーカー(約20万坪)のモールもあった。しかし、彼がもっともよく知られるのは、ミネソタ州イーダイナのサウスデールモールの設計者としてである。サウスデール以前には、モールはむしろ従来の店舗が並んだ通りのように運営されており、エントランスは外に向かい一階建てだった。それに対して、サウスデールでグルーエンが生み出したアイディアは、2階建てで空調のついた内向きのモールで、その中心部には明かりに満ちた広場があり、そこには噴水、木彫りの装飾品に生け簀までが詰め込まれていた。1956年のサウスデールの開業後、ジャーナリストはこのモールが体現している小売りのビジョンは「アメリカ式生活の一部」になったと断じた。

 

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モールが瞬く間に広がったのは、都心から脱出する動きと戦後庶民の懐が豊かになったことが原因だというのは良く言われる話だ。モールの発展は、確かに郊外の成長期と経済の繁栄と同時期に起こったことだが、それだけで語り尽くせるものではない。1954年に議会は製造業への投資刺激となることを期待して新規建築物への減価償却期間を短縮した。マルコム・グラッドウェル(Malcom Gladwell)がニューヨーカー誌で説明しているところによれば、かつての税法では、新規事業に対して収入の一部を減価償却に相当するものとして税控除することを認めていた。減価償却とは、新しい建物を建てたり新しい工作機械を購入したときから、その資産は価値を失っていき、最終的には再築や置き換えをしなければならなくなるということである。グラッドウェルはこう説明する。「課税においては、50年代初期の建物の有効寿命は40年と設定されていた。従って、施設の開発者は建築物の価格の40分の1の額を毎年収入から税控除することができた。新規の4000万ドルのモールであれば、毎年100万ドルが減価償却のための税控除対象となったわけだ。」しかし、1954年からは、減価償却期間を短縮することができるようになり、施設の開発者が毎年控除できる額は100万ドルにはとどまらなくなった。さらに多額を控除対象とすることができた。会計技術上は減価償却損として処理されたが、それは税金がかからない金だったのだ。グラッドウェルは述べている。「突然、株を買うよりも、ショッピングセンターに投資したりするほうがはるかに儲かるようになったのだ。だから、不動産投資会社に資金が流れ込んだ」

 

モールはアメリカの新郊外住民に物資を供給しただけではなく、投資家に莫大な富をもたらした。1996年の「米国税制政策とショッピングセンター・ブーム」という論文の中で都市史家のトーマス・ハンチェット(Thomas Hanchett)はこう述べている。「なんの前ぶれもなくアメリカ中で、まるで肥沃な土地に芽を出した雑草のようにショッピングプラザが広がり始めた。これまでは段々と区画整理を進め、ショッピングセンターのコンセプトに熟考を重ねていた開発者が、いきなりプロジェクトの進行を加速し始めた。」この「進行を加速し始めた」プロジェクトが生み出したショッピングモールの第一波が国中を席捲したのは1956年のことだった。それは、グルーエンの自動空調を備えたサウスデールのモールが開業した年でもあった。

 

たいていの場合、投資家はモールの立地を気にしなかった。結局、屋内の大モールであれ屋外の小モールであれ、大半はできるだけ多くの金を加速された減価償却控除の対象にして引き出すための手段としてモールを利用したにすぎなかった。そして、数年後には利益を出すために売却してしまう。投資家は郊外の開発中心地にモールを建てようとはせず、郊外からも離れた安い土地を求めた。こうして、ショッピングモールの建設は、ハンチェットが言うところの「(住宅地の拡大を追った)結果」から「(住宅地の拡大を加速する)触媒」に変わっていった。新しいモールができることは、必ずしもその地域の人口が増加していることを示してはいなかった。ハンチェットの研究からの引用として、グラッドウェルは、1950年から1970年まで全く成長しなかったニューヨーク州コートランドの例をあげている。この期間にコートランドのダウンタウンには2マイル以内に6つのショッピングプラザが建設された。1970年代には税制改革が行われ、全米で固定資産税が低減されたため、地方政府から貴重な収入を奪うことになった。地方政府は収入源となるビジネスを探し求めることになり、売上税が見込めるショッピングモールは奨励の対象として魅力的な企業となった。

 

ハンチェットの視点から見れば、アメリカンモールの急速な没落はほとんど驚くことではない。短期間の減価償却を利用して最大限に金を儲けようとしていた投資家は、既に存在するモールを改善することには興味がなかった。そして、アメリカの風景は巨大なモールでふくれあがった。しかし、モールがアメリカの文化に紛れもない影響を残したのも事実である。モールのフードコートは、中華のパンダエキスプレスや菓子パンのシナボンのようなブランドを生み出した。「モール・ラッツ」から「モール・ウォーカー」に至るまでのモールでぶらぶらする若者の局地的な文化も、モールから数々生まれた。モール文化はポップ・カルチャーとなり、音楽、映画、テレビ番組へと広がっていった。

 

アメリカはモールに魅了され、遂に熱狂的なピークを迎える。1990年には全米で19の新たなモールが開業した。しかし、1990年代後半から、かつてはアメリカ中のモールを満たしていた文化が変容し始めた。何年も改装していなかったショッピングセンターは次第にくたびれた徴候を示し始め、以前は店舗に押し寄せた中流で中年の顧客が姿を消し始めた。そして、昔はぴかぴかだった郊外のショッピングセンターは犯罪天国だと思われるようになっていった。ますます衰退が進み店舗は余り、モールはゴーストタウンになり始めた。まず客が消え、次に店が消えていった。現在、全米各地のモールの空き家率は約7.9%に達したままだ。2011年の最悪時には、モールの空き家率は9.4%に上った。

 

数多くの死んだモールはブルドーザーでの取り壊しを宣告されることになるだろうが、すべてのモールがそうなる訳ではない。死にかけているモールに再生の機会を見いだしているコミュニティーもある。その機会は、想像力に欠けていたショッピングセンターを、広い意味で地域のニーズに応えるものに生まれ変わらせることにある。2010年のTEDトークでジョージア工科大のエレン・ダンハム=ジョーンズ教授が語ったように、「俯瞰的な構想と今後50年間の再開発プロジェクトによって、郊外は改装されることになる」のだ。死にかけたモールがオフィスに転換されたケースもいくつかあれば、教会、コミュニティーセンター、なかにはホッケーリンクとして生まれ変わったモールもある。もう一度アメリカンモールに想像力を吹き込むことで、なかにはグルーエンが元々思い描いていたようなダウンタウンにたどりつくモールもあることだろう。ぶらぶら歩いて色々なことができるエリアがあれば、死にかけている郊外の風景に、都市計画の新しいセンスを吹き込むことができるというのが、グルーエンの考えていたことなのだから。

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日本でもシャッター商店街の話が出ますが、アメリカでもショッピングモールの閉鎖が相次いでいるようです。税制で資本が動くというのはどういうことなのか、良く分かる話でした。