ONEDOG:壁打翻訳手習帳

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ペット石の発明者、ゲーリー・ダール没(78歳)

フラ・フープの大流行に匹敵するほどだったというのは常軌を逸していたし、それはもっと説明のしようがなかった。たった3ドル95セントで、どこの裏庭でも掘り出せる、ごく普通の卵形の石を買うことができるというのだから。

 

1975年の狂熱に浮かされた数ヶ月間、幾分は恥ずかしいと思いながらも百万人以上がペット石の飼い主になったのは驚くほかない。この騒動を、後にニューズウィークは「史上最も馬鹿げたマーケティングの大成功」と呼んだ。

 

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この売り出しを考えた男、ゲーリー・ダールが78歳で3月23日に亡くなった。彼は、時にマーケティングの天才とも、気の良い詐欺師とも呼ばれた。この思いつきで一山当てたとき、彼はみすぼらしいコピーライターだったが、そもそも冗談の積もりだった。だが、なんの手間も要らず、なんの世話も要らないペットというコンセプトは、自己探求に取り憑かれた70年代の琴線に響き、すぐに文化的な現象となった。

 

P. T. バーナム*1がかき回した「石のスープ」*2の現代版とでも言える、ペット石のおかげでダールは実際に一夜にして大金持ちになった。大流行はとっくの昔に終わってしまったが、「ペット石」という言葉は、軽蔑をこめて無用の物を意味することもあれば、尊敬をこめて大成功を意味することもあるが、アメリカの辞書に残っている。

 

ペット石で大儲けしたにもかかわらず、ダールはペット石を思いついたブレーンストーミングを後悔していた。

 

よくあるように、ダールのブレーストーミングは酒場で始まった。

 

70年代半ばのある夜、長年住んでいた北カリフォルニアの街、ロスガトスでダールは酒を飲んでいた。当時、彼はフリーランスのコピーライターであり(後に彼は「要するに文無しだった」と言っている)、「ドロップアウトもどき」を名乗り、山小屋に住んでいた。

 

バーの話題はペットのことになり、ペットの餌やり、散歩、シャンプーといった飼い主の責任の話になった。

 

ダールは、酔っ払いならではのひらめきで、自分のペットはそんな手間をとらせはしないと断言した。なぜか?

 

「ペット石を飼っているんだ」と彼は説明した。

 

「みんな、どうしようもなく退屈していたし、抱えこんだ問題に疲れ切っていたんだ」と、1975年のピープル誌で彼は語っている。「これはファンタジーの世界に連れて行ってくれるのさ。ユーモアのセンスを詰め込んだと言ってもいい」

 

投資家として二人の同僚を雇うと、建築資材販売店に行き、メキシコの海岸の丸い石を大量にはした金で買い込んだ。

 

天才的だったのは、パッケージングだ。ペット石は、息をするための穴まで開いた段ボールのキャリーバッグに入っており、梱包材の寝床の上にそっと置かれている。ダールの腕前が見事だったのは、ペット石の世話、育て方、しつけ方を記したマニュアルを同梱したことだ。

 

「箱から出したときに興奮しているようであれば、古い新聞紙の上に置いてあげてください」とマニュアルには書かれている。「石はその新聞紙がなんのためか理解するので、それ以上の訓練は必要ありません。飼い主が動かすまで、石は新聞紙の上でじっとしています」

 

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1975年のクリスマスに、ペット石は市場に登場した。すぐに「トゥナイトショー」*3に取り上げられ、新聞でも大きな話題となった。ものの数ヶ月で、ペット石の売上げは150万匹に上った。

 

「両耳でそれぞれ別の電話を聞きながら、対応していたほどだったよ」と、2011年のインタビューでダールは回想している。「宣伝担当者に私の真似を教えこんで、私にかかってきた電話の対応ができるようにしていたほどだった」

 

ダールはホンダからメルセデスに乗り換え、それまで住んでいた山小屋より大きなプールがある家に引っ越した。

 

ゲーリー・ロス・ダールは、1936年12月18日にノースダコタ州ボティノウ市に生まれ、ワシントン州スポケーン市で育った。母親はウェイトレスで、父親は製材所の労働者だった。現在のワシントン大学で学んだ後、若き日の彼は広告業界に進んだ。

 

1975年のホリデーシーズン、ペット石はマストアイテムだったが、あらゆる流行と同じ道を辿ることになる。非常にシンプルなアイディアゆえに、落ち目になっていく。ダールはペット石を商標登録したが、他人が石を箱詰めして売ることを止める術はなく、多くの人が真似をした。彼の創造したペット石の周辺ビジネスが多数現れた。アメリカ国旗が刻まれた建国200周年記念公式ペット石、ペット石向け通販大学学位(学士で3ドル、博士は10ドル)等々。しかし、彼にはなんの見返りもなかった。

 

70年代後半に、利益の分け前が少なすぎると、最初の出資者にダールは訴えられた。法廷は出資者の訴えを認めたので、彼は数十万ドルを支払うという判決に従わなければなかった。ユーザーが「自分だけの荒れ地」を育てることができる「本家・砂飼育キット」といった、その後の彼の発明もペット石の成功には遠く及ばなかった。

 

ダールのバーバラ・エイジミンガーとの最初の結婚は離婚に終わった。メリンダ・オーコットとの二度目の結婚も離婚に終わった。彼の遺族は、オレゴン州ジャクソンヴィルで閉塞性肺疾患による彼の死を看取った三番目の妻である旧姓マーガレット・ウッド、妹のケンダース・ダール、最初の結婚の子供2人、クリスティーン・ヌネッツとエリック・ダール、二度目の結婚の娘、サマンサ・レイトン、養子のビッキー・ペルシング、そして7人の孫がいる。

 

ペット石の後、ダールは酒場を開いたり、ヨットの仲介業をしたが、広告業に戻った。彼は、2001年に最初に出版された「誰でも分かる広告」の著者である。

 

ダールは最近はジャクソンヴィルに住んでいたが、2001年にブルワー=ライトン・フィクション・コンテストで受賞したことを大変誇りとしていた。この賞は、故意に書かれた読むに堪えない散文に対して与えられるものである。

 

しかし、結局、彼を思い出すのは、ペット石と共にだ。ペット石のおかげで、彼は金持ちになったが、用心深くもなった。次の大流行についてアドバイスを求める大勢の自称発明家に追い回されることになったからだ。

 

「私が今あるのは自分たちのおかげだと考える、奇妙でおかしな一部の人たちがいる」と、1988年にダールは語っている。「時々振り返ってみると、ペット石がなければ、もっと気楽な人生を送れたんじゃないのかと思うことがあるよ」

 

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フジロックの「ところ天国」の川にある石は、ひょっとすると、これが元祖なのでしょうか?アメリカのカウンター・カルチャー経由でつながっているのかもしれません。

 

石をペットだというナンセンスなユーモアには、同時代の日本で大人気だった赤塚不二夫の「天才バカボン」にも通じるセンスが感じられます。そして、それをビジネスにする起業家精神は、いかにもアメリカです。モノを売るのではなくストーリーを売れと、マーケティングでは良く言いますが、そのお手本のような話です。凝った包装で知られるiPhoneの新型が出ると、箱を開けるステップを「開封の儀」と呼んで、1ステップ毎に写真を載せているブログもありますが、このペット石のパッケージングはそれにはるかに先立つ傑作だったようです。

*1:派手な広告で一世を風靡したサーカス王

*2:何も食べるもののない旅人が石を煮ていると、奇妙に思った人々が一つずつ材料を提供していき、最後には美味しいスープができあがり、全員がそのスープを飲むことができたという民話。様々なバージョンがある。

*3:1954年から続く米NBCの深夜トークショー