ONEDOG:壁打翻訳手習帳

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「ジュラシック・ワールド」の新しい恐竜についての科学的意見

映画としては面白いし、アイディアも見事だが、科学的には無理

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ハリウッドは、行きはよいよい、帰りは怖いという世界だ。しかし、古生物学者ジャック・ホーナーに関しては、これまでのところ心配に及ばない。彼は科学について大雑把な話をしながら、やっかいな問題をあしらうことができるのだ。

 

ホーナーはモンタナ州ロッキー・ミュージアムの有名なキュレーターであり、話題になった興味深い本、「恐竜の育て方」の共著者でもある。しかし、おそらく最もよく知られているのは、6月12日にまもなく公開される「ジュラシック・ワールド」を含めて、「ジュラシック・パーク」シリーズ4本の技術コンサルタントとしてだろう。すぐれた科学と同様に、すぐれたSFも、新しい発見と共に変化する。ジュラシック・シリーズも例外ではない。

 

マイケル・クライトンの小説を原作にした第一作は、充分にもっともらしいアイディアに基づいている。それは、恐竜の血を吸った直後に琥珀に閉じ込められた古代の蚊を集めて、恐竜のDNAが復元されるというアイディアだ。恐竜の血を分離し、現代のクローン技術をいくぶん施し、疑念を少々取り払えば、雷竜の出来上がりだ。

 

しかし、判明したのは、DNAはとてもではないが、それほど頑丈なものではないということだ。適切に保存すれば、DNAは最大で数百万年持つ。だが、恐竜が死滅してから、6千5百万年も持つだろうか?可能性はないだろう。

 

そこで、新作の映画ではひねりが加えられている。元々の仮定を完全にひっくり返すのではなく、アレンジを加えている。ギガントザウルス、ルゴプス、マジュンガザウルス、カルノタウルスという実在した4つの恐竜の復元遺伝子から作り上げられた、まったく新しい恐竜、インドミナスレックスを考え出したのだ。

 

人工的な遺伝子操作による動物は確かに存在するので、ホーナーはたしかに旧作に対して科学的な改善を新作に施した。最近のインタビューで、ホーナーは、「ハイブリッドを作ることの利点は、あらゆる遺伝子を他の動物から集めて混ぜ合わせ新しい動物を作り出すことができることです。それは、恐竜をDNAから復活させることよりも、実際のところ、ずっともっともらしいのです」と述べている。

 

それは、理屈ではもっともらしいが、彼が言うほどにはうまくいかないだろう。ホーナーは、恐竜のDNAについて、研究室で最先端の研究をするだけではなく、公の場でも話をしている。広く一般に波紋を投げかけた2011年のTEDトークにおいて、ニワトリをリバース・エンジニアリングすることで恐竜を効率よく作り出す可能性について、ホーナーは論じている。現在の鳥類は恐竜に最も近い生きた親類であり、琥珀の一片中の死んだ蚊よりも、恐竜のDNAをはるかに良くとどめているのだ。かぎ爪を羽に変えた遺伝子配列を無効化し、鳥の尻尾の代わりに恐竜の尾を発生させていた遺伝子を再び有効化すれば、数千万年の間というもの目にされることのなかった動物を復活させることができるかもしれない。

 

2014年に、ホーナーと同僚たちは、鳥の尾の進化に着目した論文を発表した。それ以前にも、ハーバード大の遺伝学者マシュー・ハリスが、ワニのような歯を持つニワトリを作り出すことまでやってのけている。(これらの研究でニワトリが取り上げられることになるのは、ニワトリが我々の食卓に良く上るのと同じ理由からである。つまり、安価で、家畜化されており、豊富にいるからだ)

 

遺伝子操作の科学は、時計の針を逆回りさせてニワトリの進化を巻き戻すといった夢をはるかに超えて進歩しているが、その歩みは比較的穏健なものである。一般的に、遺伝子操作で作り出される動物は、一つの特性を作り出すために遺伝子を継ぎ合わされており、見てそれとわかる単一の種である。例をあげてみよう。クモの糸を乳に含むヤギは、工業用途で役に立つ。神経を保護するミエリンのためのタンパク質を作り出す雌牛は、神経変性の病気治療に使い道があるだろう。そして、汚染の少ない肥やしを排泄する豚ができたのは、マウスのDNAをほんの一部利用したおかげである。

 

こうした例のどれをとっても、ホーナーの考える生物ミックスのシナリオからはかけ離れている。それには、理由がある。単純なイースト菌から複雑な人類に至るまでの遺伝子を研究してきた遺伝学者は、個別の種には個別の遺伝子があるというほど簡単なものではないことを学んできたので、ずっと謙虚だったのである。

 

むしろ、一つの種の比較的穏やかな特性でさえ、遺伝子機能の発現を切り替えるスイッチ機能を持っているあらゆる種類のエピゲノムとの相互作用を通じて、あらゆる遺伝子によって制御されている。逆に、こうした全ての遺伝子は、他のすべての遺伝子や組織を形成している特性と完全な調和を保ちながら機能しなければならない。

 

ここにたどりつくまでに進化は数百万年を要したのであり、任意の2つの種からの遺伝子を混ぜ合わせて、得体の知れない生物学的なカオスを生み出そうとしても、うまくいかないだろう。それが、犬が猫とつがったり、人がチンパンジーと交われない理由である。そしてまた、馬と驢馬の間にラバが生まれるように、種がシステムの脇道にそれることがあっても、その結果生まれる子孫にはたいていの場合繁殖力がない理由でもある。手に負えなくなる前に、そんな実験は全部やめた方が良い。そして、これはたった2つの種の遺伝子について手を出した場合の話だ。研究室で3つや4つの種からの遺伝子を組み合わせようとすれば、事態は指数関数的にさらに複雑になる。

 

もちろん、ジュラシック・ワールドはまったくのエンターテイメントだ。SFのFはフィデリティ(正確さ)のFではない。ホーナーは依然として古生物学者の間では偶像的な人物だが、もう少し科学的に正確であっても良かったのではないか。ジュラシックシリーズの最新作はこれまででもっともリアルな恐竜のアニメーション描写だというのは、去年の「インターステラ」はこれまででもっともリアルなブラックホールに飛び込む体験の描写だというのと大差ない。いずれの映画にしても、家で見るような映画でないことは確かだ。

 

こういう突っ込みは言われたものが勝ちであることは間違いありません。こういうことを言い出すと、湖で生き残っていたネッシーや、海底から放射能の影響で目を覚ましたゴジラの方が、むしろ科学的には否定しにくい設定なのかもしれません。恐竜は無理だとしても、ニホンオオカミドードー鳥くらいなら、そのうちなんとかならないのでしょうか。まあ、復活しても、恐竜ほど面白いことにはならないでしょうが。

 

それにしても、ジュラシックパークは毎回毎回大事故が起こるのに、懲りずに良く再建しますねw。日本では8月7日公開の予定だそうです。


Jurassic World - Official Global Trailer (HD) - YouTube

 

 

新版 恐竜の飼いかた教えます

新版 恐竜の飼いかた教えます

 

 

追記:やっと、見てきました。恐竜は大迫力で面白かったです。ストーリーは、突っ込みどころも多かったですね。甥っ子が行方不明で心配なのは分かりますが、大事件の最中に責任者が避難を放り出して捜索に行って良いのか、いざというときの危険対策が杜撰ではないのか、最後は逃げ出した恐竜をどうしたのか、等々。科学的な突っ込みよりも、裁判になったらどうなるのかという法的な突っ込みを読んでみたいです。

 

問題の恐竜の見せ方も出し惜しみしていないし、サービスはたっぷりです。見世物のCGとしては、さすが、よくできています。でも、映画としては、もっとうまく作れるんじゃないのかというところは多かったですね。最後のおばちゃんが頑張るところだって、サスペンスとして盛り上げる仕掛けがあっていいし、大ラスもラスボスが出ればいいというもんでもないし、唐突すぎるし、それならそれで見せ方はあると思うし。CG見世物と割り切るなら、兄弟の家の話なんか、無駄以外の何物でもないですし。ああいう無駄な要素を付け加えるから、2時間超える映画になるんです。警備部門や科学者の部分も、大した事言っていないんだから、もっとすっきりさせればいいんです。ああいうのは、もっと見るからに悪人らしい顔の俳優にやらせれば、もっともらしい説明なんかしなくてもいいんです。まあ、映画ではなく、CG見に行ったので、文句言っても仕方ないですが。

 

見所は、なんといっても、飼育員のこのポーズですね。

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世界中の動物園の飼育員が真似をしたくなるのも分かります。まあ、この鳥のような人間っぽくない姿勢を考えた人は偉い。これは、子供も絶対真似するでしょうし。子供が真似すれば、つべこべ何と言われようと、こういう映画は勝ちです。

ウォールマートが被る毎年の窃盗被害額

「原因不明の在庫減少」とウォールマートは戦っている

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ウォールマートのような大企業であれば、何事も大規模であり、万引きによる損失も莫大である。


ロイター通信によれば、小売業界大手ウォールマートは、毎年の窃盗による被害額が約30億ドル、総収入3000億ドルの1%に上ると述べた。

 

いわゆる「シュリンケージ(万引き等による在庫の減少)」対策活動の指揮を執るUSオペレーション責任者グレッグ・フォーランは、木曜日、記者に対して、この万引きによる損失を減らすことが今後数ヶ月、同社の重要優先事項となると語った。

 

「3000億ドルの1%は、非常に大きな額である。3000億ドルの0.1%の損失をなくすことができたら、その金額を毎日欠かさず浮かせて、顧客のために商品価格を下げる原資としたい」とフォーランは訴えた。

 

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この窃盗による収入の1%の被害ですが、顧客による万引きだけではなく、内部の人間による窃盗も結構あるのではないでしょうか。先日、追悼番組として放送された「トラック野郎」では、菅原文太が演じる一番星の桃太郎が、トラックの積み荷のスイカピンハネして風俗に手土産として持って行っていましたがw、まあ、そういう話はどこでも結構ありそうです。ただ、今は在庫管理も様々な手法で厳しくはなっているでしょうが、内部の人間なら抜け穴も気がつくし、いたちごっこでしょう。商品タグのようなテクノロジーで防犯を強化することもできるでしょうが、それにもコストがかかるわけで、費用対効果を考えると1%という額は結構大変な数字かもしれません。

 

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ボブ・マーリーのヤギ肉カレー

ボブ・マーリーが妻リタと結婚した日の朝食に摂ったヤギ肉カレー

(4人前)
骨付きで厚切りのヤギ肉1.2kgを、少なくとも2時間、以下の材料とマリネする。
・ライムジュース
・レッドワインビネガー 小さじ2杯
・塩 小さじ半分
・黒胡椒 小さじ1杯
・スライスしたタマネギ 2個
・ニンニク みじん切りで4片
・赤唐辛子(好みに応じて) 刻んで半分
・生姜 皮をむきみじん切り 親指大1かけ
オールスパイス(ジャマイカペッパー)の実 軽く叩く 12個
・中辛カレー粉(ジャマイカのカレー粉が理想的) 小さじ1杯


大鍋に油を少々ひいて、火にかける。強火で5分、ヤギ肉に色がつくまで炒めるたら、火を弱めて蓋をして15分蒸し焼きにする。そして、タイムの小枝を4本、ビーフストック500ml、春タマネギ3個のみじん切りを加える。時々かき混ぜながら、肉がすっかり軟らかくなるまで3時間以上煮込む。余分な水分とアクを取り除く。好みに応じて唐辛子か塩を加え、米と豆、あるいはフラットブレッドを添えて出す。

 

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 結構手間がかかりますね・・・。ヤギ肉自体、食べたことないですが、どんな味なんでしょうか?まあ、自分では作らないと思いますw。それにしても、結婚式の日とはいえ、朝からカレーですか、ボブ・マーリー

 

ビールックス【レッドワインビネガー】 フランス

ビールックス【レッドワインビネガー】 フランス

 

 

 

 

ヤギ(山羊)〔豪州産〕1Kg冷凍パック

ヤギ(山羊)〔豪州産〕1Kg冷凍パック

 

 

スイスチーズの穴が出来る理由が明らかに

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世界中のサンドイッチ好きは、スイスチーズの大きな謎が科学者により解明された年として2015年を永遠に記憶することだろう。

 

1世紀近くに及ぶ研究の末、(当然)スイスの科学者が遂にスイスチーズに穴ができる理由を発見した。その理由は、腹を空かせたネズミとは何も関係がない。製造過程で牛乳に混じった干し草の粉こそが、スイスチーズの独特な見た目を生み出していたのだと、スイス国立農業研究所の専門家が明らかにした。

 

1917年に、アメリカ人科学者ウィリアム・クラークが始めてスイスチーズの穴の由来を体系的に研究し、詳細な論文を発表した。彼は、牛乳中の微小なバクテリアが出す二酸化炭素が原因だと結論した。しかし、クラークは気泡形成のメカニズムを正確に説明することが出来ず、彼が記念碑的な論文を発表した後、数多くの世界中の研究者がスイスチーズの穴が出来る理由を突き止めようとしてきた。

 

だが、木曜日に発表された報告によれば、スイスの専門家はこのやっかいな科学的問題を解決したと確信している。このスイスの科学者たちは、スイスチーズが130日かけて出来上がるまでの間、チーズのマルチスライスCTスキャンをとり続けて、穴が形成される場所と過程を追跡した。チーズを作るために牛乳に加える干し草の微粒子の数を変えることで、出来上がる穴の数をコントロールできることも彼らは発見した。

 

彼らの発見によって、過去10年から15年間に渡り、店頭に並ぶスイスチーズにある穴の数が減り続けている理由も説明がついた。今日では、牛乳は近代的な搾乳機によって濾過されており、家畜小屋の空気に晒されることはないので、干し草の粉が牛乳に紛れ込んでチーズに穴が発生することはなくなってしまったのだ。「伝統的な搾乳バケツが使われなくなってしまったということだ」と、スイスの研究者は述べている。

 

このスイス研究者の干草微粒子由来説がどれだけ持つものか、様子を見ておく方が良いかもしれない。何故なら、他の研究者はすでにこの理論の穴を探し始めているからだ。

 

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チーズの穴を調べるためにCTスキャンをとるというのは、随分大げさな話にも思えますが、農学系の研究は大体そんなものなんですよね。面白がって茶化しが入った記事ですが、スイスチーズの独特の外観というのも一つのブランドイメージなので、それが年々減っているとしたら、確かにチーズ製造業者にとっては大事なので、一生懸命研究する価値はあるわけです。きっと、消毒した干草の粉を混ぜて穴を作ろうとするんでしょう。その穴によって、味や食感が変わるかもしれないですし、こういうのも大切な研究かもしれません。

「処女検査」への固執が示すインドネシア空軍の腐敗

良識と平等を旨とする組織では、こんなおぞましい手続きの採用は考えられないと人権活動家は語る

 

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インドネシアでは数十年間にわたり、空軍や警察に職を求める女性や軍人と結婚しようとする女性は、「処女検査」として知られる屈辱的な手続きを堪え忍ばなければならなかった。

 

人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチHRW)がこの慣行に注目するまでは、それは公にはされない醜い秘密だった。先週発表された報告で、ニューヨークを本拠地とするこの圧力団体は、インドネシア軍に対して、女性採用候補者と軍人の婚約者に対する処女検査をやめるように求めた。これは、インドネシアの婦警候補生たちが検査受診を求められていたことが暴露されてから6ヶ月後のことだ。

 

HRWインドネシア調査官アンドレアス・ハルソノは、「彼らは、軍は肉体的にも精神的にも最も優れた採用候補者を求めているのだ、と言うのです」と語った。「軍人の妻に対しても同様の理屈です。彼らは、処女は非処女よりも精神的に健康だと考えているのです。報告によれば、『自分自身の名誉を守れなければ、国家の名誉を守れるわけがない』と彼らは繰り返し言っているのです」

 

軍司令官、モエルドコ将軍は、検査には何も問題はないという。「それは良いことだ、何故批判するのか?」と、彼は先週金曜日に報道陣に述べた。処女検査は「道徳性の指標だ。他に方法はない」とも言っている。

 

将軍の反応は、警察幹部の発言の繰り返しだ。検察庁長官モエクギヤルトは、警官の倫理基準を保つために検査は必要だと言った。「採用候補者が売春婦だと分かれば、採用できるわけがない』と彼は11月にも発言している。(しかしながら、他の警察高官たちは、検査を否定した。スタルマン警察長官は、同月、婦警候補生に求められているのは、健康検査であり、処女検査ではないと述べている。)

 

指二本による侵襲的処女検査について、世界保健機関(WHO)は「非科学的」と断じているし、インドネシアの女性人権委員会は性的暴行の一形態であると糾弾しているが、インドネシアでは繰り返し起きている問題である。政府高官や国会議員は、特に女学生について、処女検査を課す考えを何度も漏らしている。

 

この2月にはジャワの東にあるジェンバー市の市議会議員が、卒業を迎える中学生には処女検査が課されるべきだと提案した。「処女でなければ、卒業させるべきではない」と彼は発言した。2013年末には、南スマトラ州プラブムリ市の教育長が処女検査を高校入学の必須条件にするべきだと提案した。どちらの提案も、世論の猛反対に遭って棚上げされた。

 

それにしても、一体何故、インドネシア人はこれほど処女に夢中になるのか?独裁主義者の「新体制」は終わったかもしれないが、女性を国家の道徳維持のシンボルとする考えは依然として残っていると語るのは、女性人権活動家であり医療人類学者でもあるライス・マルコスである。民主化改革の時代に宗教的保守主義が勃興し、道徳的価値が危機に瀕しているという意識から、この処女に対する考え方は一層強化された。ライスは言う。「処女性はいっそう神聖視されるようになった。軍隊のような国家の組織にとって、処女検査は、組織自身の腐敗を隠蔽するための道徳的シンボルになっている」

 

警察と軍における女性の割合は、それぞれ3%と2%であると推定されている。警察と軍の男性は女性を遙かに凌ぐ数だが、男性の道徳を測るためにどんなテストが必要かということに言及した高官は皆無である。

 

処女検査の実施は、いくつかの他国でも報告されている。アフガニスタンでは、(しばしば、家庭内暴力や強制的な結婚からの)脱走や婚外交渉の罪状で「道徳的犯罪」として告発された女性や少女は、しばしば処女検査の対象になる。法廷は実施を非難しているものの、エジプトの拘留施設では処女検査は依然として違法に行われている。インドは、国中のレイプ被害者に対する処女検査を禁止する新しい手続き実施を、まだ体系的に行っていない。

 

インドネシアの警察や軍でいつから処女検査が行われるようになったのかははっきりしないが、HRWがインタビューした女性の中には1960年代に検査を受けた人もいる。軍の女性採用候補者は普通全員で、軍病院において、大広間をカーテンで仕切った検査室で検査を受ける。「処女検査を擁護する人々は似非科学を信じている」とHRWのハルソノは言う。「(女性の処女膜が)11時と1時の方向の間で破れていれば、それは事故によるものだと彼らは信じています。もし、それが6時の方向で破れていれば、その女性が性行為を行ったことの証左だと彼らは信じているのです」


女性人権委員会の委員長を務める元警官のイラワティ・ハルソノは、30年前に警察に入ったときにこの検査を受けなければならなかった。「実際に検査を体験したものとして、この検査は非常に差別的で侮辱的だと感じました」と彼女は言う。「あれを忘れることができる人はいないでしょう。つまりトラウマになるような経験だということです」

 

ある退役した空軍高官は、検査の4年後、新婚の夫とハネムーンの間セックスをおこなうことができなかったと思い起こす。「体がこわばり、脚を開くことができませんでした」と、HRWの報告書で彼女は語っている。「それは、処女検査で受けたトラウマが原因です」

 

先週のHRWの報告を受けて、何人かの国会議員が、処女性と道徳性には何の関係もないとして、処女検査の廃絶を求めている。チャヒヨ・ クモロ内務大臣は、行政大学に入学する女性に対する処女検査を廃止すると、12月に約束している。

 

人権活動家はジョコ・ウィドド大統領に処女検査の廃絶を迫っているが、上流社会の保守層であるこのインドネシアのリーダーは、これまでのところ、この件に関して口をつぐんだままである。その姿勢や政策に大きな転換が生じるという期待は薄い。ライスは言う。「大衆が、国家の道徳は混乱していると考えれば考えるほど、純潔のシンボルを守るべきだという女性への抑圧も高まります。道徳が混乱しているかどうかは、男性上位主義者の男性が無意識下に有している最古の基準、処女性によって判断されることになるのです」

 

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唖然とする話です。


インドネシアは、世界最大のイスラム人口を抱えており、人口の約3/4がイスラム教徒です。この話の根底には、やはり、イスラム教の男性中心主義があると考えるべきでしょう。テロリズムやISISの問題がある中で、こうした問題と宗教が結びつくと、イスラム教に対する反感がますます高まる可能性があります。それは、現状をさらに悪化させることになるでしょう。イスラム教社会自身の穏健派・良識派が、変えるべきことは変えるという姿勢をとって、自ら変化してもらいたいものですが、問題の根は深そうです。外圧でどれだけの影響を与えることができるのでしょうか。

 

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世代を超えたブルースマン、B.B.キング没、享年89歳

 

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世に倦んだ声とむせぶギターで、ミシシッピーの綿花畑から身を起こし、世界のステージ、そして、アメリカン・ブルースの頂点に立った男、B.B.キングがラスベガスの自宅で木曜日に息を引き取った。89歳だった。

 

ネバダ州クラーク郡の検視官、ジョン・ファンデンバーグが、死因はII型糖尿病による一連の小さな発作によるものと述べたことを、アソシエイト・プレスが報じている。キングはホスピスケアを受けていた。健康状態は思わしくなかったが、10月までは演奏活動を続けていた。ツアーをキャンセルしたのは、糖尿病からくる脱水症状と疲労が理由だった。

 

キングはカントリー・ブルースと大都会のリズムを結びつけて、万人がすぐにそれと分かるサウンドを作り上げた。ビブラートの揺らめきで突き刺さるようなギターの音は、身をかがめて飛び上がる動物のようだった。彼の声は、欲望、願い、そして失った愛の重みで、うめき悶えていた。

 

「自分のギターを人間の感情とつなげたかった」と、キングはデヴィッド・リッツと共著の自伝「だから私はブルースを歌う―B.B.キング自叙伝」(原題“Blues All Around Me” (1996)、翻訳出版2001年3月、ブルースインターアクションズ 社)の中で述べている。

 

 

演奏中、彼がギターのネックから音を絞り出すと、歌声とギターソロは渾然一体となった。彼の手は怪我でもしたかのように震え、表情は病に取り憑かれたかのような面持ちだった。大ヒット曲「ザ・スリル・イズ・ゴーン」の「まだ生きていく、でも悲しくてたまらないだろう」という歌詞のように、彼の歌う歌の多くは苦悶と忍耐の詩だった。

 

音楽史家のピーター・グラルニックがかつて記したように、キングがブルースの客層を広げることに貢献できたのは、「彼の演奏の都会性、単にブルースに限らず吸収してきた様々な影響、礼儀正しさ、新しい観客を受け入れ、その観客が反応できるなにかを与えようという意志」を通じてのことだった。

 

”B.B.”は、1940年代に成功の足がかりとして名乗り始めた名前だが、「ブルース・ボーイ」の略である。彼の仲間のブルースマンは、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフのように、厳しく打ちのめされた人生にぴったりのニックネームを持っていた。しかし、貧しく汚れた小作人と裕福な地主に囲まれた掘っ立て小屋で生まれたにもかかわらず、彼はキングだった。

 

キングはロードツアーに出ると、最初にレコーディングした中の1曲がリズム・アンド・ブルースのヒットチャートで1951年にトップになるまで帰ることはなかった。彼は、バーやダンスホール、ナイトクラブで演奏を始めた。1956年には342本のワン・ナイト・スタンドのステージをこなしたが、それから半世紀後も年に200本から300本のショーを務め、ステージもコンサートホールやカジノのメインステージとなり、世界的な賞賛を得るまでになった。

 

彼は60年代や70年代のロックンロールファンに支持されたが、年月を経てもそのファンの支持は変わらなかった。彼の演奏は、エリック・クラプトンジミ・ヘンドリックスを始めとした当時の最も成功したロック・ギタリストにも影響を与えた。

 

2003年の公共テレビ放送でのインタビューで語っているが、サンフランシスコのロックの殿堂、フィルモア・ウエストでおこなった1968年のステージが、商業的成功のブレークスルーとなった瞬間だったとキングは考えていた。それに先立つ数年前に、エレガントなシカゴのクラブで司会にこんな風に紹介されたのを彼は覚えていた。「さあ、みなさん、豚腸も、コラードグリーン(コラードの若葉を煮付けた黒人料理)も、豚足も、スイカもお終いにしよう(注:いずれも黒人の好物とされる)。B.B.キングの登場だ!」キングは激怒した。

 

長髪の白人がフィルモアの外に列を作っているのを見て、キングはロード・マネージャーに言った。「場違いな会場を選んじまったんじゃないか?」そして、興行主のビル・グラハムが満員の観客にキングを紹介した。「皆さん、本日の主役をお連れした。B.B.キングだ!」

 

「みんな立ち上がった。涙が出たね」と、キングは語っている。「それが始まりだった」

 

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80歳の誕生日を迎えたときには、彼は優に億万長者だった。ラスベガスにマンションを構え、クローゼットには刺繍入りのタキシードとスモーキング・ジャケットが詰め込まれ、彼の名前を冠したナイトクラブ・チェーン(マンハッタン42番街の店は有名)を所有し、辛抱の甲斐あり、個人的にも音楽家としても満足を覚えていた。

 

しかし、彼の人生に渡る愛は、常にギターと共にあった。彼が何千回も繰り返した話がある。1950年代初めにアーカンソー州ツイストのダンスホールで彼が演奏していたとき、2人の男が喧嘩を始め、灯油ストーブをひっくり返した。キングは火事から逃げ出したが、30ドル出したギターを思い出した。彼は燃える建物の中に飛び込み、ギターを救い出した。

 

後で、それはルシールという女性をめぐって起きた喧嘩だったと彼は知った。その後の一生、女性の尻のような曲線を描く大きなギブソンギターの数々を、彼はルシールと呼び続けた。

 

彼は2度結婚したが、1966年以降は戸籍上独身のままである。彼自身の話によれば、15人の女性との間の15人の子供の父親でもある。しかし、ルシールとはいつも一緒だった。

 

ライリー・B・キング(ミドルネームのイニシャルは略称ではない)は、1925年9月16日に、ミシシッピ三角州地帯に位置するイッタ・ベナという小さな町の郊外にある小部落バークレアで、小作人アルバート・キングとノラ・エラ・キングの間の子として生まれた。ゴスペル聖歌の歌声、78回転のブルース・レコードが立てるスクラッチ・ノイズ、日が昇ってから沈むまで続く労働の汗、白人の暴徒により1人の黒人がリンチされた光景。それが彼の憂鬱な想い出だった。

 

1940年早くに、キングの母親は世を去り、父親も亡くなった。彼は14歳にして、自分の力で生きなければならなかった。「1エーカーの綿花畑の小作人として、月2.5ドルの手当で暮らしていた」と、ブルース研究家のディック・ウォーターマンは書いている。「作物の収穫が終わったとき、独立して最初の一年を、ライリーは地主に7.54ドルの借金を残して終えた」

 

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1941年11月、啓示が訪れた。「キング・ビスケット・タイム」という番組の放送が、アーカンソー州ヘレナにあるラジオ局KFFAで始まった。それは、ミシシッピ・デルタ・ブルースを取り上げた最初のラジオ番組で、若き日のライリー・キングもプランテーションの昼休みに耳にすることになった。殆ど独学でギターを弾けるようになっていた彼は、そのとき自分の将来の夢を見つけた。ラジオで流されるミュージシャンになることだ。

 

「キング・ビスケット」ショーに出演していたのは、黎明期のブルースマンであるライス・ミラーで、ソニー・ボーイ・ウィリアムソンという1つの名前で活動する2人の演奏家のうちの1人でもあった。従軍し、最初の妻マーサ・デントンと結婚した後、22歳になったキングは、職を求め、メンフィスにミラーを探しに出かけた。メンフィスと一帯の音楽の中心地であるベアル・ストリートは、彼の出生地から130マイル北にあった。そこはキングにとって世界の中心とも思えた。

 

その夜、ミラーは2つの公演を請け負っていた。一つはメンフィスで、もう一つはミシシッピでだ。ミラーはギャラが安いナイトクラブの方の仕事をキングに任せた。出演料は12.5ドルだった。

 

プランテーション農場でのキングの稼ぎは、1日5ドルだった。キングは、もう二度とトラクターに乗ることはなかった。

 

彼は好評を博し、またたく間に、メンフィスのラジオ局WDIAでブルースをかける売れっ子のディスクジョッキーになった。自伝で彼はこう書いている。「メンフィスに来るまでは、レコード・プレイヤーすら持っていなかった。それが山のようなレコードに囲まれて、好きなときにかけることが出来るようになった。お菓子屋にいる子供が、好きなだけ何でも食べていいと言われたようなものだ。たらふく平らげるように、レコードをかけまくった」

 

メンフィスのブルースには5つの時代がある。カントリー・サウンドのデルタ・ブルース、バレルハウススタイルのブギウギ、ジャンプ・ブルース、シャッフル、そしてゴスペルシャウトだ。キングはそれらを全て自分のものにしていた。カウント・ベイシーのビッグバンド・サウンド、ルイス・ジョーダンのジャンプ・ブルースの浮かれ騒ぎっぷり、ジャズマンのチャーリー・クリスチャンブルースマンのTボーン・ウォーカーのエレキギタースタイルといったものを、彼はレコードから吸収した。

 

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メンフィスのラジオ放送で、キングはビール・ストリート・ブルース・ボーイとあだ名されていた。それがブルース・ボーイになり、やがて「B.B.」になった。メンフィスに来てから2年後の1951年12月、キングはシングル『スリー・オクロック・ブルース』 をリリースした。これはリズム・アンド・ブルース・チャートで1位になり、15週間首位にとどまった。

 

彼は、ブルースマンが望みうる限り最大のステージでのツアーを開始した。ハーレムのアポロシアター、ワシントンのハワードシアター、そして、ボルチモアのロイヤルシアターで公演がおこなわれた。8年の結婚生活後に妻に離婚された頃には、所謂チットリン・サーキット(注:人種隔離政策時代に、アフリカ系アメリカ人の音楽家やコメディアンが興行を許されていたクラブや劇場の総称)で1年間に275回ものステージをこなしていた。

 

1960年代初めに若い黒人の間でブルースが時代遅れになった頃は、つらい時期だった。サム・クックのもっと甘いサウンド喝采するティーンエイジャー達から、ロイヤルシアターで野次られたときのことをキングは決して忘れなかった。

 

その40年後に彼はこう言っている。「彼らはブルースを分かっていなかった。ブルースはトーテムポールの底辺みたいなもので、奴隷が演るものだと教え込まれていたし、詩の意味について考えようともしなかった」

 

キングのスー・ホールとの2度目の結婚も8年間続いたが、1966年に離婚に終わった。1969年に、彼はそれに応えるかのように、彼の最もよく知られた曲『ザ・スリル・イズ・ゴーン』をレコーディングした。これは、愛を得ることと失うことについて歌ったマイナーキーのブルースだ。元々は作曲者の一人ロイ・ホーキンスによって1951年にレコーディングされた曲だが、キングはこの曲を自家薬籠中のものとした。

 

キングの死後には11人の子供が残された。そのうちの3人が、キングのマネージャー、レベン・トニーがキングを食い物にしていると主張して、彼に対して権利を求める訴訟を最近起こしていたが、今月、ロサンゼルスの判事は彼らの訴えを却下した。

 


BB King and Eric Clapton - The Thrill Is Gone - YouTube

 

ザ・スリル・イズ・ゴーン』の成功は、丁度、若い白人の間でブルースが広まり始めたのと時期を一にしていた。フォーク・フェスティバル、大学の講堂、ロック・コンサート、リゾートクラブといったところで、キングは演奏を始め、「トゥナイト・ショー」にも出演した。

 

ザ・スリル・イズ・ゴーン』ほど大きなヒットは他に出なかったが、キングは40年以上に渡り演奏活動を続けてきていた。彼は遂に世界中で演奏するようになる。欧州や日本だけではなく、ロシアや中国でもだ。2006年9月の81歳の誕生日前後には、デンマーク、ベルギー、オランダ、ドイツ、フランス、ルクセンブルグの9つの都市を、2週間のスケジュールで回っている。

 

特別功労賞生涯業績賞を含めて15回のグラミー賞、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星型プレート、ロックの殿堂とブルースの殿堂の両殿堂入りのみならず、キングは、ケネディ・センター名誉賞を1995年に受賞し、大統領自由勲章も2006年に授与されているが、これらはブルースを通じて授与されることは稀である。1999年、全米人文科学基金書記長ウィリアム・フェリスとの公開対談において、どのようにしてブルースを歌うようになったのかを、キングは詳しく語っている。

 

ミシシッピーのプランテーション農園で育ち、月曜から土曜の午後まで働いた。土曜の午後になると町に出かけていき、街角に腰を下ろし、ギターを弾き歌を歌った。帽子か、箱かなにかを自分の前に置いた。ゴスペルソングをリクエストする人たちは、私に対していつもとても礼儀正しく、『坊や、すごいじゃないの。頑張りなさいよ。いつか、きっとすごい人になれるわよ』と言ってくれたが、帽子には何も入れてくれなかった。だけど、ブルースをリクエストする人たちは、いつもチップをくれたし、ビールをおごってくれることもあった。その人たちは、いつもなにかしらしてくれた。土曜の午後で50ドル、60ドル稼げたこともあった。なぜ私がブルース・シンガーになったのか、これで分かっただろう?」

 

 

B.B.キングの『ライブ・イン・ジャパン』は繰り返し繰り返し聞いたアルバムでした。御冥福をお祈りします。

 

ジミ・ヘンドリックスの「ブルースっていうのは、金を稼げば稼ぐほどできるもんなのさ」という有名な言葉がありますが、最後の話はそれと同じような話ですね。きれい事ではなく、現実に金を稼いで生きることの重みがブルースには詰まっているんですね。

 

Live In Japan

Live In Japan

 

世界最古にして地球最大の生命体であるポプラの森

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ユタ州のフィッシュレイク国立森林公園では、一人の巨人が8万年にわたり静かに生きてきた。

 

「身震いする巨人」(The Trembling Giant)とも、「パンド」とも呼ばれるこの巨大なポプラの森は、「一つの生命体としての森」という比喩を文字通り形にしたものだ。この森は本当に一つの生命体なのである。この森のおよそ4万7千本の各々の木は、遺伝子的に同一であり、全ての木が一つの根を共有するシステムなのだ。ほとんどの樹木は花を咲かせて有性生殖を通じて繁殖するが、ポプラは、地中で横に広がった親木の根から新しい木が芽を出し、無性生殖をおこなうのが普通である。一つ一つの木は個体ではなく、一かたまりの単一のクローンの幹なのだ。このクローンはまさに一かたまりなのである。107エーカーにわたり広がり総重量6615トンに及ぶパンドは、かつては世界最大の生命体と考えられていたが(現在ではオレゴン州の1000エーカーに広がる菌床に世界最大の座を奪われた)、最大のかたまりであることはほぼ間違いないだろう。別の比類なき点として、楽観的な推定ではパンドの樹齢は百万年を超えるが、これは地上最古の生命体の一つたるに充分だろう。

 

不幸なことだが、この巨人の未来は暗澹としている。2010年、ユタ州立大学のエコロジスト、ポール・ロジャースがザ・デザート・ニュースに寄せた記事によれば、この「身震いする巨人」は危機に直面している。年を取ったパンドの幹は害虫と干魃に絶えず襲われ、かわるがわる枯れていくが、パンドの復元力の源である再生力のある根も攻撃を受けているのだ。鹿やヘラジカが食い荒らすために、古い木にとって代わる幼木や若木が著しく無くなっているとロジャーは報告している。新しい木が育ち、古い木を置き換えなければ、「身震いする巨人」は破局を免れることができず、急速に枯れて縮小していくことになる。ロジャーは、この生命体が「急激に滅びつつある」と打ち明けている。

 

ポプラの名の由来は、やさしいそよ風にさえも良くそよぎ、わずかな風でもバサバサと音を立てるその葉にある(英名Quaking Aspenは「よく震えるハコヤナギ」という意味)。数百エーカーに広がる何十万本の木が立てるパンドの大音響は身がすくむようであり、死にゆきつつある古代の「身震いする巨人」の生命をまざまざと感じさせる。

 

 

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世界最大の生命は、象でもクジラでもなく、菌類だったとは知りませんでした。それに次ぐ巨大生命体にして、百万年生き続けてきたポプラの森。なんとも壮大です。

 

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