ONEDOG:壁打翻訳手習帳

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アメリカ横断に挑むヒッチハイクロボに会いに行こう

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その名もヒッチBOT

親指を天に向けて突きあげ、デジタルの顔に笑みを浮かべながら、カナダの二人の研究者の手によるロボットがアメリカ横断ヒッチハイクの旅に出かけようとしている。

 

ヒッチBOTと名付けられたこのヒューマノイド・ロボットは、見知らぬ人の親切と好奇心のおかげで、すでにカナダとヨーロッパを横断してきた。金曜日には、マサチューセッツ州セイラムから出発し、夢のサンフランシスコへ向けて初のアメリカツアーを開始する。

 

道すがら、タイムス・スクェア、ラシュモア山、グランド・キャニオンといったアメリカを代表する場所にも立ち寄りたいと考えている。

 

この子供サイズのロボットは自分自身では動くことができないので、ある地点から別の地点まで見知らぬ人に引きずってもらうことになる。旅行者は、誰か出会った人にこのロボットを引き継いでもよいし、ガソリンスタンドや商店にこのロボットを置いていってもよい。ロボットの親指を上げさせ、スタンドを立ててやれば、ロボットと別れることができる。

 

できれば、ドライバーは交通量の多いところに置き去りにせず、バッテリーが低下したら充電してあげてほしいと製作者は願っている。それ以外にルールはない。

 

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製作者の一人で、トロントのライアソン大学の職業的コミュニケーション論の准教授であるフローク・ツェラーは、「こうしたテクノロジーを任されたときに、人々がどう反応するかを見てみたいのです」と言う。「これは大胆なアート・プロジェクトです。人々に参加してもらうのです」

 

外見上、ヒッチBOTはパフォーマンスをするためではなくおもちゃとして作られたように見える。バケツの胴体に、黄色いガーデニング用の手袋を曲がりやすいラバーの腕に被せ、お似合いのゴムのブーツを履いている。製作者によれば、このおどけた格好は意図的なもので、親しみやすく見せ、盗難の可能性を避けるためだという。

 

「見かけが実にローテクなので、ガレージセール風だと言っていました」と語るのは、もう一人の製作者であり、オンタリオ州ハミルトンのマックマスター大学のコミュニケーション研究の助教授であるデビッド・ハリスだ。「頭は本当にアクリルのケーキの蓋なんです」

 

このロボットは、旅の道連れにおしゃべりができるように設計されており、ちょっとした情報を提供したり、限られた範囲の会話をすることができる。製作者は、このロボットは魅力があって小生意気だという。

 

これまでのところ、ロボットになにか非道いことがされるという徴候はないが、そうならないという保証もない。製作者たちは、この問題から意図的に目を背けている。

 

「このロボットには監視技術は使わないように、とても気を使っています。それは私たちがやりたいことではないのです」とハリスは言う。

 

ロボットに付いているGPSは位置を辿ることができるし、約20分ごとに旅の様子を知らせるためランダムなスナップショットをカメラは撮影する。しかし、ロボットのチームは、ヒッチBOTが熱心なファンを集めているソーシャルメディアに投稿する前に、写真に写っている人の許可を得るようにしている。

 

このロボットをツイッター上で3万人以上がフォローしているし、ロボットとの自撮りを何十人もが投稿している。研究者は、人間を助けるために作られたこれまでのロボットではなく、人間の助けを必要とするロボットとどのように人々が接するかということを研究するためにソーシャルメディアからデータを集めている。

 

ここで問うているなかでも重要な問題は、ロボットは人間を信用することができるかということだと、ツェラーは言う。

 

これまでの旅行で、このロボットはコミックの集会や結婚式にも出席し、オランダでは肖像画も描かれた。ヘビーメタルバンドと一週間過ごしたこともある。

 

カナダでの大陸横断旅行は26日を費やし、移動距離は6000マイル以上に及んだ。アメリカ旅行を前にして、研究者も、何日かかるか分からないし、道中何が起こるかも分からない。

 

「我々は、なにか物語の要素があること、冒険の要素があることをやりたいんです」とハリスは言う。「何が起こるのか、本当に分かりません」

 

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このロボットが無事に夢のサンフランシスコに到着できるかどうか心配でしたが、昨日壊されてしまったようです。欧州やカナダはともかく、アメリカは駄目じゃないのかという気はしていましたが・・・。むしろ、良く2週間もアメリカを旅できたな、という気がします。

 

この話を聞いて、すぐに思い出したのは、江戸時代の金比羅参りです。当時忙しくて自分で金比羅参りにいけない人の中には、代わりに自分の飼い犬にお参りに行ってもらった人もいたそうです。このヒッチBOTも日本で金比羅参りをすればよかったのにと思います。

R.I.P.

NASA、冥王星の月の地名をスターウォーズやスタートレックから命名へ

伝説のスタートレック俳優、ウィリアム・シャトナー「光栄だ」

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NASAの科学者はオタクの旗を高く掲げる決意を固め、冥王星の月シャロンにあるクレーターと山をSFから命名する。

 

国際天文学連合IAU)のルールによれば、冥王星のクレーターは水中の神話から名付けられなくてはならない。しかし、ニュースによれば、NASA冥王星のクレーターと山の名前を提案するに当たりもっと自由な裁量を持っており、NASAの科学者はスターウォーズスタートレックからファイアーフライやドクター・フーを地名として挙げるだろうという。

 

今のところ、ヴェーダー、スカイウォーカー、レイア・オルガナといった名前はクレーターの地名として提案されており、ロード・オブ・リングのモルドール冥王星の月の北側にある巨大な暗い地点の名前に挙げられている。ジョス・ウィードン監督の単発に終わったSFテレビドラマ「ファイアーフライ」の人気のあった宇宙船にちなんだ「セレニティー谷」というものまである。

 

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新しい名前はまだIAUの承認を受けなければならないが、科学者たちはこれらの名前は承認を得るに充分な文化的遺産であると楽観視している。(IAUはすでに、土星の月の地名として(トルーキンの「指輪物語」の登場人物である)「フロド」と「ビルボ」を承認している。)

 

前述の映画やテレビ番組のスターたちも、支持を表明している。スタートレックでカーク船長を演じたウィリアム・シャトナーは、「自分が創造に参加したキャラクターが、このような敬意ある形で認められるのは、光栄だ」と語っている。

 

 

宇宙探索が進めば、それこそ名付けなければならない地名は際限なく増えていくでしょうから、ギリシャ神話だけではどうしても地名が不足するでしょう。神話と言うことであれば、世界中にいくらでもあるわけですが、アメリカ人にしてみれば、アジア、アフリカやパブアニューギニアの神話から聞いたこともない読みにくい地名を付けようとはいう気にはならないでしょうし、それならSFから命名しようということになるのは当然の成り行きかもしれません。

中国の創造性を検証する

懐疑論者は誇張している。中国企業がイノベイティブな業界もある。

 

「ええ、中国人は、試験は得意ですね。でも、・・・。恐ろしいほど想像力があるというわけではありませんね。彼らはイノベイティブではありません。だから、我々の知的財産を盗んでいるのです。」ヒューレット=パッカードの前社長、カーリー・フィオリーナは、今年初めアメリカ大統領選挙への立候補を発表する直前に、こう断言した。フィオリーナの問題提起は、現在のビジネスにおける大問題の一つ、「中国はイノベーションを起こせるか?」という問に対する世界的な議論に油を注ぐことになった。

 

懐疑論者の論点は二つある。懐疑論者が、中国企業は自ら創造をおこなうことができないという証拠として挙げるのは、歴史的にも知的財産権が厳格に保護されていないことと、模倣品のビジネスモデルが中国では氾濫していることだ。昨年MITスローン・マネジメント・レビューに掲載された記事が主張するところでは、中国の知的財産権侵害によりアメリカの企業は1年に3000億ドルの被害を被っているという。また、懐疑論者は、中国政府のイノベーションを促進するための取り組みは高圧的で、実際には取り組みは遅れているという。

 

この議論で反対の論陣を張る新しい論文が公開された。設立者の名を冠したコンサルティングファームシンクタンクマッキンゼー・グローバル・インスティテュート(MGI)による研究、「グローバル・イノベーションにおける中国効果」においては、中国企業の将来性が確かに示されている。MGIはイノベーションをインベンションと混同するというよくある過ちを犯してはいない。使われることのない特許を大量に出願するのでも、収益の上がらない目新しい製品を次から次へと出すのでもなく、「売上げを増加させ、利益を増やすことこそが、イノベーションが成功していることの証明なのだ。」そして、7月14日に出版される経営コンサルタントエドワード・ツェーの本、「China’s Disruptors」では、政府のイノベーション政策によって(にもかかわらず、ではなく)中国の民間部門が力強く成長していることが論じられている。

 

MGIのチームは、中国とそれ以外の地域の2万に及ぶ企業の財務データを精査し、顧客と株主のために価値を創造しているかどうかを調べた。問題解決のために大量のエンジニアを投入することや(通信機器メーカーのファーウェイなどはこれが得意である)、製造プロセスを改良するといった基本的な研究開発を通じて、どれだけ価値創造をおこなったかを量ったのである。中国は、年月と多大な資金を費やして、国外のテクノロジーを吸収する「イノベイティブなスポンジ」になろうとしてきた。MGIのレポートによれば、それにもかかわらず、世界レベルの新薬や民生用の飛行機や車を作ることにかけては、西欧に比べて遅れているという。

 

しかし、このレポートでは、様々な業界において、中国は今や二つの面のイノベーションにおいては世界をリードしていることを見いだしている。まず、消費者向け製品の改善とその販売のためのビジネスモデルが一つである。そして、製造プロセスをより安く、より早く、より良いものに改善することである。その結果、家庭用品、インターネットのソフトウェア、消費者向け電気製品といったものについては、今や他国のライバルを凌ぐ売上げを上げるようになった。彼らは自国の市場が巨大であることの恩恵を受けている。しかし、彼らは迅速でもあるのだ。中国の消費者は、スマートフォンソーシャルメディア電子商取引をいち早く受け入れただけではなく、値段に敏感であり、ブランドを信奉しない。消費者向け製品を作る企業が中国で成功できれば、それは世界中どこででも通用する。

 

中国企業は新しいビジネスモデルを生み出している。西欧のネット企業は収益の大半を広告から得ている。しかし、中国の広告産業の規模はアメリカの約8分の1にすぎないので、中国のネット企業はユーザーの閲覧を換金する別の道を探らなければならなかった。テンセントは収入の90%をオンラインゲームから得ているが、それはソーシャルなプラットフォームとe-コマースを通じた仮想アイテムの販売によるものだ。2014年のユーザーあたりの平均売上げは16ドルで、これはフェイスブックよりも6ドル多い。オンラインビデオ・プラットフォームのYY.comは、面白かったショーのアーティストに投げる「電子薔薇」をユーザーに販売している。同社によれば、収入の分配を受けるトップクラスのパフォーマーは月に2万元(約3200ドル)以上を稼げるというが、これは工場労働者の給料平均の7倍である。

 

別の論点である国の役割についてはどうであろうか?悲観論者は中国の官僚主義は民間部門のイノベーションには不向きであるという。ある意味で、ツェーはこの見方に反論するとは思えない人物である。彼は、2つのライバルであるコンサルティング・グループ、ボストン・コンサルティング、そして次に、ブーズ・アンド・カンパニーで中国のトップを務めた人物である。彼の本では、毛沢東主義者による政策が残した灰の中から、中国大陸の起業家経済が勃興する様が、説得力が溢れる詳細に触れながら述べられる。そして、この資本主義の第一人者も、「多くの重要な分野においては、イノベーションを導くのに必要な、大規模かつ長期的なリソースのコミットメントは、企業のみによっては成し得ない」と主張するのだ。ちょうど、アメリカの大学や軍事研究に対する公的支出がシリコンヴァレー初期におけるHPのような有名企業を育てたように、中国でも「国の主導が必要なのだ」という。現在中国は、公的部門と民間部門を併せて年間2000億ドル以上を研究開発に投じており、GDP比ではアメリカには劣るもののEU以上であるという事実にも、彼は意を強くしている。

 

ツェーはまた、いかに中国の規制と法的なインフラがいっそうイノベーションに適したものになってきているかということを示す証拠を指摘する。中国最大のインターネット企業であるバイドゥは、音楽やビデオの海賊版を流通させていることで悪名高かった。しかし、規制による取り締まりと権利保有者からの法的訴えがあったおかげで、バイドゥは健全化に成功し、外国TV番組の合法な配給大手になることができた。

 

大半の中国企業が最先端技術を持っていないという意味ではフィオリーナは正しいが、価値を創造するイノベーションを行う能力がないと言ったら、それは間違いだ。HP自身、世界最大のコンピューター会社の地位を中国のレノボに追い抜かれているが、レノボは西側ビジネスを大胆に買収しただけではなく、見事な社内の製品開発もおこなっているからこそである。そして、イノベーションの場を設定するにあたり政府の役割があるというツェーの指摘も正しい。しかし、民間航空機と車製造においても、政府は産業構造を独裁している。航空機においては国内最大の国営企業AVIC社、自動車においては外国企業との強制的な提携を通じて、政府は独裁を行っている。中国企業イノベーションをおこなうことができる。しかし、中国政府はまだ、有効な援助と非生産的な干渉の区別を学んではいない。

 

冷静な分析ではないでしょうか。世界に広がる華僑を見れば、中国人の商売の才能は疑うべくもありません。「発明=インベンション」と「価値創造=イノベーション」の区別がつかない人の多い日本も、「ものづくり」に撞着している場合ではなく、こうした視点から自分のポジションを確認するべきでしょう。

 

サッカー女子W杯、アビー・ワンバックが妻を祝福した瞬間をTVが放送

米国チームがサッカー女子W杯決勝戦に勝利し、男女を通じW杯米国代表史上最多のゴールも決め喜びに溢れるアビー・ワンバックは、観客の中に良く知る顔を見つけた。彼女の妻、サラ・ハフマンだ。ワンバックはハフマンに駆け寄り、歓喜に溢れたカップルは口づけを交わした。この一部始終がテレビで放送された。

 

これは、最高裁判所が6月に法の下に同性婚を平等に認めて以来初めて、主要なスポーツ競技において、同性愛者であることを公けにしているアメリカ人世界王者が配偶者を祝福した瞬間なのだ。それは、アメリカにおいて同性愛者への認知がいかに高まったかということを、実に鮮やかに示していた。テレビ画面上でゲイ同士のキスが厳格に禁止されていたのは、遠い昔の話ではない。テレビ上におけるゲイカップルのキスは1991年まで放送されなかった。しかし、それもくちばしでつつき合うようなものだった。レズビアン間での然るべき愛情のこもったキスは、1997年まで放送されなかった。ゲイの男性間での情熱的な口づけは、2000年まで放送されなかった。

 

こうしたキスが放送された当時、同性婚が合法とされていた州はなかった。同性愛自体が1ダース以上の州で非合法とされていた。今や、婚姻の平等は全米のすべての州で合法となった。そして、同姓カップルの画像は当たり前のものとなり、メジャーなスポーツイベントの全国放送でも、女性が自分の妻にキスする場面がカットされなくなったのだ。ゲイの権利への戦いとは、まさにゲイの人々が自分自身の人生を正直に誠実に生きることができるようにすることだった。まさに、これこそが勝利の姿なのだ。

 


Abby Wambach plants one on her wife after winning ...

 

なでしこが負けてしまったのは残念でしたが、アメリカにおいては、こうした意味でも象徴的な瞬間だったわけですね。アメリカの優勝を、改めて祝福したいと思います。

今再び、ニーナ・シモンの時代

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かつて、フェミニストの作家、ジャーメイン・グリアは、「あらゆる世代がニーナ・シモンを再発見しなければならない。彼女は、天才である女性がいることの証なのだから」と断言した。喜ばしいことに、今年こそはまさにその時かもしれない。

 

ニーナ・シモンは、死後の栄光を迎えようとしている。彼女からのインスピレーションで、3本の映画とスターが数多く参加したトリビュートアルバムが製作され、ジョン・レジェンドはオスカー賞最優秀楽曲賞の受賞スピーチで彼女に言及した。この突然のブームは、十年にわたって続いてきた評価再燃を目論む動きに続くものだ。彼女についての二本の伝記と詩集が出版され、何本かの舞台にもなった。そして、彼女の代名詞とも言うべき苦悩に満ちたコントラルトの歌声は、ヒップホップのパフォーマーによってサンプリングされた。ジェイZやザ・ルーツ、なかでも強烈だったのは、カニエ・ウェストだ。

 

広くその名をとどろかせてから50年、ニーナ・シモンは今頂点に立ちつつある。

リズ・ガルバスが監督したドキュメンタリー「What Happened, Miss Simone?」は、ニューヨークで水曜日に公開され、2日後にはネットフリックスで見ることができる。この映画はシモンが伝統を打ち破り成し遂げた融合を解き明かすところから始まる。黒人らしい深い歌声、クラシック音楽、ゴスペル、ジャズピアノのテクニック、市民権運動、ブラックパワーの音楽活動。彼女はそのすべてを融合させた。

 

彼女は、市民権運動に欠かせない曲となった”Mississippi Goddam”を作曲したのみならず、アメリカのポップアーティストの活動を評価する基準を拡大した。映画の中でシモンはこう問いかける。「アーティストなら、時代を反映していないなんてことは有り得ない。私にとって、それがアーティストの定義なのよ。」

そして、この映画の中で、シモンは音楽と政治的自由を断固として追求し、同時代の運動のために主張をおこなった歌手として描かれる。

 

シモンの中性的な歌声、ジャンルの壁を打ち破る音楽性、政治意識は、60年代や70年代のマーケティング担当重役やコンサートのプロモーターを悩ませたかもしれない。しかし、彼女の活動は、才能や活動自体こそを真剣に受け止めて欲しいと願う今日のゲイ・レズビアン・黒人・女性のアーティストに至るまで、大きな影響を与えて引き継がれている。

 

「ニーナは常に的を得ていました。彼女は、的確かつ独自のやり方で断固として行動し、あの情熱と直截さを持って主張していたからです」と、ガーバスはインタビューで語っている。「しかし、なぜ今、彼女に脚光が当たっているのでしょうか」と彼女は問題を提起し、それは余りに世の中が変わっていないからだと指摘する。そして、マイケル・ブラウン、レキア・ボイド、フレッディ・グレイら、武器を所持していなかったにもかかわらず警察に暴行を受け殺されたアフリカ系アメリカ人をその証左として挙げた。

 

歌詞における人種差別の告発、そして市民権活動組織を代弁した業績を通じて、シモンは今この時代にも通じる存在だが、2003年の死後、彼女の身近な人々はシモンについて、さらに気安く話すようになった。ガーバスは語っている。「映画製作の観点からは、彼女の再評価の一因は、彼女の遺産に対する権利の問題です。人々が、彼女の話について管理をいくらか緩めることができるようになったということです」

 

今回、シモンの娘であり、歌手で女優のリサ・シモン・ケリーが、個人的な日記や手紙、音声やビデオの記録をガーバスに開示し、彼女は映画にもエグゼクティブ・プロヂューサーとして記されている。フランスのカリー=ル=ルエにある母の家からの電話インタビューで、ケリーはこう言っている。「私の監視下で、この映画は製作されました。家族である私と夫が、アメリカ文化の中で彼女が彼女自身の言葉で思い出されるように、適切なチームを見つけ出して然るべき手続きを踏まなければ、母は忘れられたままだったと思います」

 

ケリーの言うことにも一理あるが、それだけではない。この10年間というもの絶え間なく、アルバムは再発され、これまで未公開のインタビューや曲が公開され、初公開のコンサート映像が見られるようになり、市場には彼女の作品が溢れていた。しかし、遺産として残されたものが、シモンのリバイバルを可能にもし、損ねてもいた。最後の25年間に及ぶ期間のシモンの録音マスターに関する権利をめぐっては、眩暈がするほどの訴訟が起こされており、最近ではソニーミュージックが遺産への権利から手を引こうとしているなど、状況は込み入っている。

 

だが、シモンの遺産をめぐりもっとも注目を集めた議論の一つは、シンシア・モート脚本による今年後半公開予定の伝記映画「ニーナ」をめぐるものだろう。ゾーイ・サルダナをタイトルロールに配したこの映画は、当初キャスティングについて世間から非難の集中放火を浴びたし、サラダナが肌を黒くして付け鼻をした写真がリークされると、反発はさらに強まった。結局、ハリウッド・リポーター誌によれば、映画を乗っ取られたと訴えるモート自身からの製作会社に対する2014年の訴訟により、映画の公開はさらに遅れた。

 

インスタイル・マガジンでサルダナは「自分が適役だとは思わない」と語ったが、フィルムのボイコットを求めるネット上の嘆願が騒動の中で生じたことで、シモンの政治と倫理に対する姿勢が若い世代にも深く文化的に根付いていることが明らかになったのだった。

 

監督のジーナ・プリンス=バイスウッドは電話インタビューで、2014年の映画「Beyond the Lights」において、混血の英国ポップの新星である主人公ノニ(ググ・バサ=ローが演じた)が尊敬する人物としてシモンを取り上げた理由をこう語った。「当時、ニーナは黒人であることに引け目をもたず、自分自身に誇りを持っていたし、それは「Four Women」のような曲のもつ誠意にも現れていた。だからこそ、彼女を取り上げた。そして、そのことはまさにノニが葛藤していたことでもある。彼女は男のファンタジーの対象になるよう教え込まれてきたからだ」

 


Nina Simone: Four Women - YouTube

 

しかし、プリンス=バイスウッドにとって、シモンは、過剰に性的魅力をアピールするべく作り上げられた今日の女性アーティストの単なる代用品ではなく、社会の動きの中でせめぎ合う複雑なアイデンティティのありようにもっともぴったりあう偶像だった。プリンス=バイスウッドは言う。「”Black Lives Matter”運動が起きる今、人種のプライドが再び問題となっていますが、それと同時に、ここでは黒人女性こそが最前線に立っているのです」

 

90年代初期にマルコムXに対する関心が再び高まったように、シモンの肖像もまた新たな国の危機に際して浮かび上がってきた。しかし、黒人であることに誇りを持ちつつ、アフリカ系アメリカ人としても、当時の女性アーティストとしても、音楽的・性的・社会的な慣習を頑として拒んできたことで、彼女の一生は複雑なパイオニアというべき様相を呈している。

 

本名ユニース・ウェイモンとして1933年に生まれ、シモンはノースカロライナ州トライロンの人種隔離地域で育った。3歳にして、彼女の母親がお気に入りの教会聖歌隊のゴスペル賛美歌をピアノで弾いていた。8歳になると、彼女の才能は注目を集め、母親の白人の雇い主がクラシック音楽レッスンの費用を一年間提供してくれたほどだった。一流のクラシックピアニストになることを決意して、シモンは1年間ジュリアード音楽院で勉強する。そして、フィラデルフィアのカーティス音楽学校へ志願するが入学を拒否される。この拒否に傷ついたことが、彼女の一連の改革に向けた行動につながっていく。彼女は名前をニーナ・シモンと変え、アトランティック・シティのナイトクラブで演奏をし、ジャズのスタンダード曲をレパートリーに加えていった。

 


Nina Simone: I Loves You Porgy - YouTube

 

1959年、シモンのデビューアルバム“Little Girl Blue”からは、彼女唯一のトップ40ヒット曲“I Loves You, Porgy”が生まれることになる。さらなる音楽的キャリアを求めて、シモンはニューヨークに戻り、そこで活動家でもある作家たち、ロレイン・ハンズベリー、ジェイムズ・ボールドウィン、ラングストン・ヒューズ 、マルコムXらと交流をもつ。こうした政治的な親交や市民権運動の高まりに影響を受け、シモンは1964年に“Mississippi Goddam”を作曲することになる。この曲は、前年に起きた2つの事件、市民権運動家メドガー・エバーズのミシシッピでの暗殺と、アラバマ州バーミングハムで4人のアフリカ系アメリカ人が殺された教会爆破に触発されたものだ。この曲には彼女らしさが一番出ている。ショー向けの曲でありながら、痛烈な人種問題への批評と悲劇を予言する警告が、当て擦りとして一つに混じり合っている。

 

ああ、この国はどこも嘘だらけ
あんたたちも死んでしまう、蠅のように
もうあんたたちを信じない
あんたたちは言い続けるんだ
「慎重に、慎重に」と

 


Nina Simone - Mississippi Goddam - YouTube

 

シモンが政治的活動にのめり込んでいったことで、音楽のみならず私生活にも影響が出た。シモンはバイセクシャルだったが、もっとも長続きしたロマンスは、彼女のキャリアを60年代の大半に渡ってマネジメントした元警官のアンディ・ストラウドとの波乱に満ちた結婚だった。ストラウドは暴力や性的虐待をおこない、シモンの活動や交友を制限し、シモンの予測不可能な感情の爆発をコントロールしようとした。不幸なことに、シモンの「気まぐれさ」が双極性障害と診断されるのは、それから20年後のことだった。シモンは結婚生活からも母国からも離れて、リベリア、スイス、そしてフランスに移り住んだ。(映画の中で、娘のケリーは、シモンが自分に対していっそう病的になり虐待を行うようになったので、父と一緒に帰国しなければならなかったと言っている)

 

シモンは、“To Be Young, Gifted and Black”のような曲でストークリー・カーマイケルやブラックパワー運動と手を結び、ますます攻撃的になっていったが、アメリカのレコード会社との契約を続けることが次第に困難になっていった。彼女はこの時期を振り返って、1991年の回想録“I Put A Spell on You”でこう語っている。「抗議の時代は、私にとってだけではなく、全ての世代、音楽においても、政治の世界と同様に過ぎ去ってしまった。偉大な才能を持つ人たちは死んでしまうか、追放されてしまった。そして、彼らがかつていた場所は、三流の模倣者に占領されている。」シモンは2003年にフランスの自宅で亡くなった。

 


Nina Simone - To Be Young, Gifted and Black ...

 

ニーナ・シモンは、他の誰よりも、自分の芸術を武器として抑圧に抗議した。そして、その代償も支払うことになった。」とアーネスト・ショーは語る。彼は、昨年、マルコムX、ジェイムズ・ボールドウィン、そしてニーナ・シモンを、ボルチモアにある家に壁画として描いた芸術家だ。そこは、フレディ・グレイが逮捕された場所からたった2マイルしか離れていない。

 

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今日、シモンの多様な側面をもつアイデンティティのあり方は、人種、ジェンダー、性的平等といった現在の動きを一つにしたいと願う若者の思いを捉らえている。

 

それこそが、ジェフ・リーバーマン監督のドキュメンタリー“The Amazing Nina Simone”で訴えられている最も重要な点だ。この映画では、シモンの家族、仲間、学者に対する50以上のインタビューが収録されており、この秋遅くには公開される予定だ。

 

リーバーマンによれば、彼は、舞踏家キャサリン・ダナムのただ一人の娘であり元モデルのマリー・クリスティン・プラットとシモンの関係について調べたかったのだという。「多くのゲイの男性やレズビアンは長い間ニーナ・シモンに引きつけられてきた。シモンは彼女が属する様々な世界でもアウトサイダーであって、時に悲しげで、あるときは孤独だったが、常にぶれることはなく、自由を求める闘争においては断固とした態度だったからだ」

 

しかし依然として、シモンに対する関心の大半は、彼女の人生よりも彼女の音楽に対して向けられたものである。最近のアルバムでシモンの曲をカバーしたアーティストは、明らかにお互いかけ離れている。例をあげれば、南部のゴスペルパンクバンドAlgiers、実験的ポストパンクバンドXiu Xiu、ネオソウル・ネオファンクのアーティストMeshell Ndegeocelloといった具合だ。彼らがシモンの曲を共通して取り上げているという事実は、シモンの音楽がいかに人種、ジェンダー、ジャンルを超えているかということを物語っている。

 


Xiu Xiu - Don't Smoke In Bed - YouTube

 

しかし、かつてシモンが「少なくとも私にとっては、音楽を破壊した」ジャンルだと語ったヒップホップこそが、他の何よりもシモンを今の時代に結びつけてきた。

 

シモンの音楽を現在どこででも耳にするようになったことに、もっとも貢献した2人のアーティストは、カニエ・ウェストローリン・ヒルである。ウェストは、“Bad News”、“New Day”、“Blood on the Leaves” といった曲で、シモンをサンプリングして、ヒップホップらしく、ポップで親しみやすい形でシモンを扱ってみせた。ウェストはシモンについて語ろうとはしないが、誤解からの反逆ではないのなら、彼もまた論争を起こす存在であろうとしている。つまり、彼は、音楽的技巧と同様に、芸術的ジャンル分けを拒否することにおいても評価されたいと願っているということだ。

 


Kanye West - Blood on The Leaves (Lyrics) - YouTube

 

ヒルは、1996年のフージーズの曲“Ready or Not”でシモンに触れており、歌の中でシモンに言及した最初のラッパーの一人だ。そして、“What Happened, Miss Simone?”と結びつけられた7月10日発売のアルバム、“Nina Revisited: A Tribute to Nina Simone”にも、彼女はいくつかの曲を収録している。

 


The Fugees - Ready or Not - YouTube

 

ヒルの元マネージャーであり、ガーバスの映画のプロデューサーでもあるジェイソン・ジャクソンは、“Nina Revisited”に自信を持っている。このアルバム製作に関わっているときに、ヒルは彼にこう言ったそうだ。「私はニーナ・シモンを聞いて育ったんだから、彼女がそうであったように、誰でも自由に思ったことを言えば良いと思っているわ」

 

パラドックスになるが、シモンの復活は同時にシモンのような存在の不在も明らかにした。ディアンジェロ、J・コール、キラー・マイクといったわずかな例外を除けば、大半のポップアーティストは、ミズリー州ファーガソン、ニューヨーク、ボルチモアで起きた警官の暴行事件について、音楽の上ではほとんど口を閉ざしている。

 


I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free - YouTube

 

ジョン・レジェンドは、ザ・ルーツと共演した2010年の彼自身のプロテストアルバム“Wake Up!”でシモンの曲をカバーした。そして、米国における大量の投獄に反対するキャンペーン”Free America”を最近始めた。彼は、シモンのような存在が不在なのは、アーティストがメインストリームから離れたくないか、離れることができないからだという。「僕自身はこうしたポジションを取ることが、キャリア上の自殺になるとは考えないが、実際のところ、社会的問題について説得力のあることを本当に発言したいと思うアーティストは限られているし、大半はこうした問題に首を突っ込みたいとは考えていない」とインタビューで彼は答えている。

 

「彼女の足跡を辿るためには、頭が切れて、良心があって、コミュニケーションの能力がなければならないね。そして、ほとんどのアーティストがそれに力を注ぐことを良しとはされてはいないだろうけれど、生き生きとした知的なコミュニティも必要だね」と彼は付け加えている。

 

現在、シモンは、そのサウンドとスタイルによって、人種や性指向、ジェンダーの自由についての説得力のある実例とみなされている。アンジェラ・デイビスがアルバム“Nina Revisited”のライナーノーツでこう述べている。「彼女は沈黙を続けていた全ての女性を代弁していた。そして、比類なき彼女の芸術的才能を我々にみせてくれた。こうした活動を通じて、我々が想像もできなかった革命的な民主主義を、彼女は身をもって示してくれた」

 

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引きも切らない黒人に対する警官の暴行、最高裁判所同性婚判決など、確かに今のアメリカの社会情勢においては、ニーナ・シモンを再評価するのはまさに時宜を得ていると言えるでしょう。


彼女はヒップホップに対して否定的だったようですが、現在はそのヒップホップのミュージシャンから尊敬を集めているというのも興味深い話です。ただ、彼女の存命時からヒップホップも進化してきていますし、最近のヒップ・ホップは非常に洗練された音楽になっているので、彼女が自分をサンプリングされた曲を聴いたら、どう思うだろうか?と言うのは、興味深いところです。過去の歴史を抑えて、現在の音楽まで踏まえた、良い記事だと思います。

 

現在のミュージシャンの社会的姿勢に関する指摘も興味深い点です。商業的な判断もあるのでしょうが、根深く複雑な問題だと思います。

これまでのApple Watchの売上げ

アーリーアダプターは交換バンドに飛びつく 

 

Apple Watchは販売が始まってから2ヶ月近くになるが、Appleは、売上げに関してこれまで堅く口を閉ざしている。しかし、市場リサーチの会社が推定を発表することは止められない。

 

Slice Intelligence社がロイター通信に示したデータによれば、6月半ばまでにApple Watchアメリカで約280万台が販売された。エントリーレベルの349ドルから399ドルのモデルがもっとも人気があったのは驚きではない。しかし、49ドル以上する交換バンドにも飛びついた購入者が20%近くいたのだ。

 

Apple Watchの初年度売上げの予測はあちらこちらで示されているが、アナリストの予想は1500万台から3000万台以上までの範囲である。AppleApple Watchの売上げについて四半期決算報告で明確に発表しようとはしていないので、このデバイスの成果を公式の数字で見きわめられるのは、まだかなり先のことになりそうだ。

 

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280万台というのは、まあ、そこそこ売れたということでしょうか。2014年第四四半期のiphoneの全世界の売上げ台数が7500万台だそうですから、その約30分の1程度の台数が、アメリカで売れたということになります。アメリカの市場規模を全世界の5分の1程度と見積もるなら、全世界では、iPhoneの約6分の1ということになります。アメリカ市場が他の市場に比べて先行しているとしても、iPhoneの10分の1くらいは売れているということでしょうか?まあ、思ったよりも売れていて、今のところ、大失敗というわけでもないというところでしょうか。ただ、最初に飛びつくアーリーアダプターに行き渡った後、どれだけ伸びるか?というところが本当の勝負でしょう。個人的には、まだまだ買いたいとは思いませんが、これからどうなるのか、興味深いところです。

アメリカでマイノリティが多数派になる日

国勢調査アメリカのマイノリティ人口が37.9%に達したことが明らかに

 

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米国において、白人人口は完全に停滞している一方で、マイノリティの出生数は死亡数をはるかに上回っていることが、木曜日に米国国勢調査で報告された。これは、白人人口をマイノリティ人口が追い抜く日が米国で近づいていることを示している。

 

この統計によれば、米国のマイノリティ人口は2004年には米国住民の32.9%であったが、2014年には37.9%にまで増加した。そして、ワシントンD.C.と同様に、ハワイ、カリフォルニア、ニューメキシコ、テキサスの4州では、マイノリティが多数派になった。マイノリティ人口が48.5%を占めているネバダ州が、おそらく、この4州に続くだろう。

 

ヒスパニック以外の死亡数が出生数を3年続けて上回ったことについて、ニューハンプシャー大学の人口統計学者ケン・ジョンソンは、これは米国でかつてなかったことだという。

 

「将来、ヒスパニック以外の白人人口の自然減を目にすることになるだろうが、それは今後10年前後で始まるとは思われない」と、ジョンソンは言い、不況と低い妊娠率がこの数字の落ち込みの原因だと付け加えた。「白人人口は、他に比べてかなり年齢が高い。つまり、死亡率も高いということだ。妊娠可能な年齢にある女性の数も減っている」

 

白人人口の増加速度低下と同時に、マイノリティの出生数と死亡数の比率は3対1に達している。昨年度の米国全体の人口増236万人のうち、95%はマイノリティによるものと推定されている一方で、死亡数のほぼ80%は白人である。しかしながら、ヒスパニック以外の白人人口は、主に欧州からの15万5千人の移民により、多少増加している。白人人口の増加は9万4千人にすぎない。

 

「皮肉なことに、いまやヒスパニック以外の白人は、他のどの人種よりも、人口増加を移民に頼っている」とジョンソンは述べた。

 

人口統計学者の予想によれば、米国では2040年代半ばにマイノリティが初めて多数派になる。その一方で、8310万人の2000年世代は、7540万人のベビーブーマー世代を今や追い抜き、史上最も多様な人種構成を持つ世代となっている。しかし、国勢調査の統計によれば、2000年世代に続く世代は、初めてマイノリティが多数派になる世代となる。5歳以下のアメリカ人の半数以上は、白人以外の人種なのだ。

 

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未来予想の類いは当たるも八卦、当たらぬも八卦ですが、一つだけ絶対に正確なのが人口動向です。2040年代には、アメリカでは白人がマイノリティになるわけです。このことは、アメリカ社会に非常に大きな影響を及ぼすことは間違いありませんが、それがどんな影響になるのかというのは難しい問題でしょう。


相変わらずアメリカでは人種問題から事件や衝突が発生していますが、こうした視点から見ると、白人のなかでも特に低所得層にしてみると、自分たちの国を乗っ取られようとしているという被迫害意識のようなものが芽生えているのかもしれません。最近又アメリカで頻発している、警察による黒人への暴行や黒人教会襲撃事件といった人種差別から生まれている犯罪の報道を見ていると、アメリカ社会の複雑さと問題の根深さをまざまざと感じさせられます。


翻って、日本でも、人口減少の対策として移民という話が出ますが、そもそも、日本に移民したいという人がどれだけいるかという問題もあるでしょうし、単純に人口の数合わせで移民を増やすことで一体どんなことが起こるのか理解した上で、現実的な判断をしないと、取り返しのつかないことになるでしょう。

 

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